PL学園時代の田中一徳
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 10月26日にプロ野球ドラフト会議が開催される。毎年ドラフトの目玉は、身長180センチ以上の大柄な選手が大半を占めるが、昨年の巨人・浅野翔吾(171センチ)のように野球選手としては小柄ながら、センスの良さを買われてドラ1指名をかち取った者もいる。過去にドラフト1位の座を掴んだ身長160センチ台の選手たちをプレイバックしてみよう。

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 まず1974年のドラフトで超目玉になったのが、169センチの剛腕・山口高志(松下電器)だ。

 市神港高時代に監督から「お前は体が小さいのだから、上からボールを叩きつけるくらいに思い切って投げろ」とアドバイスされたことをきっかけに、体全体をバネのように使って投げるダイナミックなフォームにモデルチェンジ。全盛期に推定160キロといわれた速球は、初速と終速の差がほとんどなく、ほとんどストレート1本で打者をねじ伏せた。

 関大時代の72年も1位指名が確実視されていたが、「体が小さいことで、すぐプロ入りするのには踏ん切りがつかなかった」とドラフト直前の10月末にプロ拒否宣言。それでもヤクルトが4位で強行指名し、金額が記されていない小切手を用意するなど、あらゆる手段を使って口説いたが、靡くことはなかった。

 そして、社会人2年目の74年、仕事と野球のどちらを選ぶか悩んだ末に、山口は「トップの世界で野球をやりたい」とプロ入りを決意する。

 当時のドラフトは全球団が予備抽選で指名順を決定する指名順位抽選方式とあって、山口を指名できるのは1球団だったが、現在なら5、6球団以上の競合指名になっていたことだろう。

 その予備抽選で1番くじを引いたのは近鉄だった。しかし、契約金5000~8000万円といわれた山口の獲得予算を捻出できないお家事情から、まさかの指名回避。この結果、2番くじの阪急が1位指名した。

 翌75年、山口は12勝を挙げ、新人王を獲得。広島との日本シリーズでも6試合中5試合に登板、1勝2セーブでMVPに輝き、阪急の球団創設後初の日本一の立役者に。

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今でも現役の“小さな大投手”は…