PL学園時代は50メートル5秒6の俊足と巧打を売りに1番を打ち、2年時の98年夏、“伝説の延長17回”となった準々決勝の横浜高戦で松坂大輔(元西武、レッドソックスなど)から4安打を放つなど、17打数11安打4打点、打率.647の好成績を残した。

 この“松坂キラー”ぶりと守備のスピードが「波留(敏夫)と(外野で)並べば、抜かれない。下位に回せば、他球団にさらわれてしまう可能性がある」と横浜・権藤博監督に高く評価され、ドラフトの3カ月前には1位指名が決まっていたという。

「甘い世界ではないことを知っています。でも、不安を楽しさに変えられるようになりたい」とプロでの飛躍を誓った“吉田義男2世”は02年、機動力野球を推進する森祇晶監督の下、自己最多の112試合に出場し、打率.256、1本塁打、8打点、6盗塁を記録した。

 だが、監督が代わった翌年以降は、3年連続最下位に沈んだチームの転換期とも重なって出番が減り、2年連続1軍出場なしで終わった06年オフに戦力外通告を受けた。

 その後、田中は米独立リーグで2年間プレーし、NPB復帰を目指したが、08年11月の12球団合同トライアウトを最後に現役を引退した。(文・久保田龍雄)

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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