「キムタク」の選択は間違っていたかもしれないが、それでも責めないで! とファンでもないのに思う。アイドルであり続けるために、ナンバーワンであり続けるために、ビジネスとしての「キムタク」を守るために、ファンと共にあるために、そこで生活する人々を守るために、1人の人間が背負うには「キムタク」はあまりに重たいものだったはずだから。
「キムタク」という価値の崩壊を目前にしながら、結局は、「アイドル育成」というビジネスそのものが人をどこか壊すものであるという事実が残ったのだと思う。浴びる光はあまりに強いが、その分だけ影の闇は濃い。子供たちに見せる夢は果てしなく大きいが、強いる地獄は生身の体で耐えきれる以上のものかもしれない。それは、女の子、男の子に限らずである。
忘れがちなことであるが、「アイドル文化」は日本独特のものだ(韓流などに影響は与えたが)。女児男児限らず、10代の子供たちを「スターとして育てる」ことを「楽しむ」というビジネスのあり方そのものが、そもそも相当にフェティッシュであり、歪んだ欲望なのだ。今、そんな日本の芸能のあり方そのもの、欲望のあり方そのものが問われている。「キムタク」がどのように粘るのか、そして終わるのか。その残酷さは私たちが「アイドル文化」を享受し、生みだしたものなのかもしれない。