考えてみれば7年前のSMAPの「解散劇」から、「キムタク」の威光に陰りは見えていた。黒いカーテンを背景にスーツ姿のSMAPの5人が立ち、“解散騒ぎを起こしてすみません”と生放送で謝罪したあの映像は、今も後味の悪いものとして多くの人の記憶に残っている。芸能界の底知れぬ闇が垂れ流された瞬間だった。そういうものにあまりにも私たちは慣れさせられてきたのだろう。事務所からの圧力で芸名を使えなくなったタレントや、テレビに出られなくなったタレントたちを、私たちは何人も知っている。性接待を求められたことを告発したタレントの口が塞がれてきたのを知っている。

 そういうものに慣れてしまっている側からしても、あの「謝罪」は異様だった。あのとき「キムタク」は、間違ってしまったのだと思う。ぎこちなく青ざめたメンバーに対して、1人だけ覇気のある調子でSMAPをまとめあげる「キムタク」に、「裏切り者」という強い言葉がSNSで投げつけられるなど、「キムタク」もジャニーズ事務所も想定してなかっただろう。たとえ批判されたとしても、そんなもの、大きな光をあてればいつか人は忘れると甘くみていたのかもしれない。

 その後の物語を目撃してきた日本中の人が、あの生放送謝罪が大きな分かれ道だったことを知っている。「キムタク」は大きな事務所に守られ、ジャニーズを去った3人がしばらくテレビから消えた。それでも、解散の翌年にジャニーズを去った3人は時間をかけながらも表現者としての地位を取り戻し、今や一流のアーティストとしての活躍を見せるまでになった。

 一方、圧倒的な国民的スターであった「キムタク」は、自ら「キムタク」を守るために選択したことに今、押しつぶされそうになっているように見える。運命はなんて皮肉なのだろう。

 1回目のジャニーズ事務所記者会見後に、「キムタク」は自らのインスタにジャニー喜多川の口癖だったという「show must go on!」と記し炎上した。それから私は「キムタク」のインスタをほぼ毎日眺めている。「キムタク」のプライベートのファッションがほぼTシャツかタンクトップであることを知らなかった(スケボーとかしてそうな風の)。「キムタク」の語彙力のなさを、私は意識したことがなかった。「キムタク」が、竹野内豊やオダギリジョーのように、色気のあるオジサンになれないのはなぜなのかとか、「キムタク」の顔を見ながら考え続けてしまう。一方で「キムタク」が今、若い世代から「変なオジサン」と言われていることに同世代として胸を痛め、「キムタク」が笑いものになるのがつらいと思う私がいる。

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アイドル育成という歪んだ欲望