そのたびに考え込む。落ち込む。そして、沖縄と「本土」の温度差を思って悲しむ。講演を終えた帰り道、「伝わらない」もどかしさで涙が出てきたこともある。
「結局……」。苦痛に歪んだ表情で明さんは私に訴えた。
「他人事なんだと思います。あくまでも“沖縄問題”なのであって、自分とは遠い場所での出来事なのでしょう」
だから優しくなれるし、同情もする。自分に痛みが返ってくることのない安心感が、自らを“優位”な場所にとどまらせる。
かわいそうな沖縄。弱い沖縄。
苦しいですよね、つらいですよね。だから気にかけてます。頑張ってください――。
そうやって優しい自分に満足する。次の長期休暇では沖縄に行ってみるか。ついでに辺野古にも寄って、座り込みの人たちを激励してこよう。きっと喜んでくれるに違いない。
「それって、優しいヘイト」
明さんはぽつりと漏らした。それが、リベラル層を含む「本土」の本音だと思ったから。
2017年、米軍ヘリの部品が落下した緑ヶ丘保育園(宜野湾市)に娘を通わせていた。
部品落下事件の翌日、娘と一緒に保育園に行くと、報道陣が待ち受けていた。一斉にマイクやICレコーダーを向けられた。思いのたけを話した。不安であること、恐怖であること。次は機体そのものが落下してくるのではないかと想像してしまうこと。話し終えると、記者たちは生年月日を聞いてくるのが習わしだ。
少しばかり戸惑ってから、正直に答えた。
「今日です」
そう、その日が明さんにとって39歳の誕生日だったのだ。記者たちもまた、困ったような表情を浮かべた。
夕食時、家族が用意してくれたケーキを食べたが、味がほとんどしなかった。
「あんな強烈な誕生日は、後にも先にもありませんでした。空から何かが落ちてくる。その現実に打ちのめされてしまったんです。正直、娘を保育園に行かせたくないと思いました。自宅に閉じ込めておきたかった。でも、なぜ、私たちが逃げ回るようなことを考えなければならないのか。そのことも腹立たしかった」
苦痛と恐怖は事件後もしばらく続いた。バッシングの嵐に見舞われたからだ。