「先に希望を持てない人生のボトム(底)が2回あって、1回目が中学時代でした。教師と折り合いが悪くて」
卒業式の予行練習で、行儀の悪い生徒に体育教師が手を上げた。山崎少年は「教師として口で説明する能力がないから手が出たんだろう。何か反論できるなら、してみろ」。
体育教師は「ちくしょう」と捨てぜりふを残してその場を去ろうとした。間髪を入れず、山崎さんは「逃げるな!」と。
陰で教師に「山崎みたいな生徒が東大に行ったりするんだよ、だから文部省はダメなんだ」などとつぶやかれていたそうだ。
「カミュやサルトルを読んでいましたが、話の合う友人はおらず。退屈だから教師をからかって、親が呼び出されたり」
大学で年下の彼女ができた
中学校は居心地のいい場所とは言えなかったが、試験の点は取れた。地元公立トップの札幌南高校を経て、中学教師の予言(?)通りに東京大学経済学部へ進学する。
「経済学に興味を持ったのは高校3年生のときです。夏休みにサミュエルソンの『経済学』を、冬休みにフリードマンの『資本主義と自由』を読みました。どちらの著者もノーベル経済学賞を受賞していますが、主張がかなり違うのがおもしろかった」
比較的裕福な大学時代を送っている。
「父が仕送りをしてくれたので、青山にアパートを借りて、六本木のバーにボトルが入っていて。他の大学で1学年下の彼女ができました。当時の東大経済学部は勉強が緩くて、サミュエルソンとフリードマンの知識で十分、卒業できたんですよ」
大学を出てどうするか––––。最初は経済学者の道を考えたが、魅力を感じない。
「談笑していた経済学者3人のうち1人が帰ったら、残り2人が帰った人の悪口を言ったりするイメージなんです。そんな狭い学者コミュニティーでの評価や大学の人事を気にして生きていくより、経済そのものに関わろうと思いました」
就職先は三菱商事。外為取引を担当する財務部に入れそうなことが決め手だった。
「大学時代は将棋部だったこともあり、自分でやった結果が出るゲーム的な仕事がしたかった」