
もっとも、ソフトウェアは運用のツールであって、山崎さんがマーケットに参加するするわけではない。「物足りなく感じてきて、同僚3人とメリルリンチ証券に転職しました。先端金融の技術を持つチームとして売り込み、採用されました」。
高度な知識と実務経験を買われ、その後も金融業界を渡り歩いた。自主廃業した山一證券では常務より給料が多かった。
実名での原稿は40代から
そんな山崎さんが「業態転換」するのは40代で5年勤めたUFJ総研時代だ。
「市販の履歴書に収まらないほど転職しているから、まとまった退職金もない。働き方を根本的に変えようと思いました」
山崎さんが試行錯誤の末にたどり着いたのは、組織に片足を置きつつ、フリーランスとしての仕事もこなすスタイルだった。
「会社を辞めても続けられる『経済評論家』になることにしました。フリーの仕事だけで食べていけるとは限らないから半分は会社員で、二足のわらじを履くことに」
今でこそ「山崎元」が書いた本は売れるし、ネット媒体への寄稿記事はページビューランキングの上位に食い込む。だが、実名で原稿を書いたのは40代から。
「山崎元という実名を出す前に、ペンネームで300本くらい原稿を書きました。でも、書き続けてきた信用で単行本の企画が通りやすい以外に何の役にも立たなかった。経済評論家としては無駄なステップを踏んでいますね」
世の経済評論家やコメンテーターの中には「コレが儲かりますよ」とあけすけに語る人もいれば、毒にも薬にもならない「当たり前の発言」しかしない人もいる。山崎さんは自分のポジジョンを「一番厳しくかつ正確に」と表現した。
「金融商品や経済業界に厳しく、『悪いモノ・コト』は容赦なく斬るという立ち位置での競争力をキープしようと考えて、やってきました。業界ウケは悪くてもポジションはある。自分と家族が食べる分ぐらいは稼げるだろうと」
自身のプロモーション戦略のように聞こえるが、辛口評論家の土台は元来持っている正義感によるものが大きいと筆者は感じた。不正や、理屈に合わないことを嫌う性格。そこにフリーランスとして生きていくための「戦略」が刺さり、「山崎元」は多くの人に支持される経済評論家になった。