気仙沼で。2023年5月。撮影:広川泰士

19年に同じ場所を撮影した写真を見せてもらうと、筆者は思わず「えっ」と、声を上げた。そこに写っていたのは真新しい住宅地だった。震災当時と変わらない風景は小さく写った山の稜線(りょうせん)以外に何もない。

「震災後の風景はどんどん変わっていきました。前回撮影した写真と見比べながら写したんですが、土地がかさ上げされて、どこにカメラを据えたのかわからないくらい地形が変わった場所もあって、困惑しました」

これが望んだ風景なのか

定点撮影の写真について、「たまたまそういうものを撮るようになったわけで、どのような作品になるか、ということはあまり考えていなかった」と言う。

「震災後しばらくは、がれきの写真とか、生々しい写真が世の中に氾濫していた。どこを撮っても、ああいう写真になるわけです。それを自分の頭の中でも整理しきれないというか、作品として発表する気にはなれなかった」

そんな思いで撮影した写真を9月22日から東京・六本木の富士フイルムフォトサロンで開催する作品展「2023-2011 あれから」で展示する。

広川さんは「風景の移り変わりを客観的に見てもらいたい」と言いつつも、「気仙沼に通ってきたせいもあるけれど、本当に地元の人が望んだ風景になったのか、果たしてこういう復興の仕方でよかったのか」と漏らす。

「ぼく自身、あぜんとしましたけれど、ああ、こんなふうになっちゃったんだ、思いました。当初は街をつくって、そこに住んでもらおう、という計画だったんでしょうけれど、移転先から人が戻らないから公園になっている。公園をつくるために、どれほどお金をかけたのか、と思う」

気仙沼で。2019年3月。撮影:広川泰士

家族の定点撮影

一方、今年5月、コロナ禍で中断していた「気仙沼ファミリーフォトプロジェクト」を再開した。

「4年ぶりの撮影です。毎回来てくれる家族もいるんですが、最初の年は奥さん大きなおなかをかかえてやってきて、次の年は赤ん坊を抱いてきて、その子がもう小学生くらいになって、みたいな人もいる。『家族の定点撮影』みたいになっている。そのことを撮られる側もわかってきて、面白いな、と思います」

撮影会場にはおばあさんのグループもやってきた。

「そうしたら、みんなでも撮ってほしいけれど、1人ずつも撮ってくれって言う。それって、完全に遺影のためでしょう、みたいな(笑)」

おばあさんたちの楽しい笑い声が聞こえてきそうな写真になったに違いない。

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】広川泰士「2023-2011 あれから」
富士フイルムフォトサロン(東京・六本木) 9月22日~10月12日