「マウンドにいる時間が短いので、チーム内でもなかなかその苦労が見えにくい。毎日のように大変な準備を重ねながら、精神的な重圧にもさらされているのです」(三井さん)
当の三井さん自身も、スコアラー時代は自分の役割に没頭しており、ブルペンの大変さには目が向いていなかったという。
その大変さに気づくようになったのは、08年に査定担当に転じた後のこと。ヤクルトや巨人で先発、中継ぎとして活躍した田畑一也さんが、引退後に巨人のスタッフになり、一緒に仕事をするようになって聞かされた話がきっかけだった。
田畑さんは中継ぎ陣がブルペンでどれほど大変かを語り、こんな事実を口にしたという。
「『疲れがピークの中でも、中継ぎは役割を果たさないといけない。するとそこで、火事場のくそ力が出るんです』と田畑は言うんです。そして、こうも付け加えました。『自分に残っている力以上のものを出し切って、その一発で故障しちゃうんですよ。無理をしていることが自分でも分からないんです』と」
長年、チームにいた三井さんでも気づいていなかったこと。頑張りすぎてしまう中継ぎ陣を休ませる決断をするのは、首脳陣の役割だと三井さんは語る。