白井:その病態が最も鮮明に表れているのが萌え系のアニメのようなもの、いわばマイルドなかたちにされたロリコン趣味への惑溺、耽溺でしょうね。アメリカ的な理想的人間像から見れば、ロリコンは最低の悪趣味以外の何物でもありません。それに対して日本では、堂々と「何が悪い」とばかりに洪水のようにあふれているわけです。それはある種、アメリカに対する復讐でもあります。「お前たちは俺たちにデモクラシーを押しつけた。民主主義の立派な主体となるように頑張れと強制した。でも俺たちはそんなものには絶対ならない」と。
内田:統一教会問題にもそういう面があると思います。統一教会の掲げている家庭や社会像は明らかに反アメリカ的です。アメリカ人が理想とする統治理念や、自立した個人の評価を否定している。一方では対米従属をしておきながら、アメリカ的なアイディアに対しては「そんなものは私たちは絶対に認めない」と抵抗している。統一教会との癒着も「抑圧された反米感情が症状として回帰してきた」ものと見なせると思います。
白井:アメリカに対してすごく複雑なものがあるというのは、どれぐらいクリアに表明するかはともかくとして、ある時代までは日本人の常識でした。野坂昭如の『アメリカひじき』なんてその表現の典型ですね。評論家の江藤淳は「戦後の日本人はなぜ一生懸命に金儲けに邁進したのか。それはアメリカに対する復讐だった」などと言いました。多くの人は江藤のように言語的に明瞭化できていなかったけれども、それを聞いてみんなが「そうだ」と膝を打つ、納得するような話だったわけです。
金儲けを通じてのアメリカに対する復讐は一時的には相当のところまでいきました。けれども90年代以降、負けっ放しになってしまいます。それで復讐心の持っていき場所がなくなって、かつ復讐というモチベーションで金儲けしていたということもよくわからなくなってしまった。もちろん世代交代していくから、戦争の記憶は薄れていくわけですから。