元々はみんなパズルが好きで、パズルを解くこと自体を目的として楽しんでいた。ところが、パズルを解けたらお金をもらえるという経験をすることによって、パズルを解くのはお金をもらうための手段となってしまったのだ。

 こうしてパズルを解くことは、金銭報酬をもらうことによって、内発的に動機づけられた行動から外発的に動機づけられた行動へと変質したと考えられる。その証拠に、お金がもらえないときには自発的にパズルを解くことが少なくなったのである。これは、外的報酬がないためにモチベーションが低下したことを意味する。

 かみ砕いて言えば、パズルを解くことそのものが目的だったときはパズルを楽しめたのに、報酬をもらうためにパズルを解くようになると、パズル解きは報酬をもらうという目的のための単なる手段となってしまい、パズル解きそのものを楽しめなくなったのである。

 これで学校の勉強をあまり楽しめなかった理由がわかったと思う。点数や成績という報酬を得るための手段として学んでいたから、あまり楽しくなかったのだ。

 若い頃はつまらなかった勉強が、定年退職後に改めて取り組んでみると面白くなったという人がいるのは、もう成果にこだわる必要がなく、学ぶこと自体を楽しめるからだ。わからないことがわかるようになる。知らなかったことを知ることができる。それはワクワクすることのはずだ。

 学校時代に歴史の勉強が好きでもなかった人が定年退職後に戦国時代の歴史や郷土史の勉強を楽しんでいたり、国語の勉強が苦手だった人が定年退職後に古典文学にはまったりしているのも、成績と関係ない純粋な学びになっているからである。

 生産性や効率を重視する世界から解放されたのだから、何かに役立てるための手段としての勉強ではなく、実用的価値のない遊びとしての勉強をしてみれば、ワクワク感を楽しみながら心の世界をどこまでも広げていけるだろう。

 ここでわかるのは、暇つぶしとしての勉強が最も純粋な学びであり、最も楽しい学びだということである。暇つぶしとして気になることをいろいろ調べながら学んでいくと、意外に面白いテーマが見つかり、楽しい学びになっていくはずである。

榎本博明 えのもと・ひろあき

 1955年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。『「上から目線」の構造』(日経BPマーケティング)『〈自分らしさ〉って何だろう?』 (ちくまプリマー新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『自己肯定感という呪縛』(青春新書)など著書多数。