数学者広中平祐との対談において、哲学者梅原猛は、好奇心をもつことの大切さを指摘している。

「今の哲学の研究者たちは、カントの哲学、ヘーゲルの哲学についての研究をしているんで、哲学そのものをやっていない。哲学についての哲学が今のアカデミズムの主流です。

 私はもうそんな窮屈なこと考えないで、哲学というのは無限な好奇心だと思う。限界を知らざる好奇心。プラトンの言うエロスというのは、面白いことがあるとどこへでもくぐっていくことなんです。これは自然科学でも人文科学でも、歴史でも文学でもいい。そういう具体的なものとの関わりなしに、エロスはあり得ないのでね。エロスは必ずそういうところに溢れてくるんです。」(広中平祐著 『私の生き方論』潮文庫)

 もう組織とか職務による縛りはないし、暇はいくらでもあるのだから、好奇心に任せて気になることを試してみればいい。

今からでも学ぶ楽しみを存分に味わおう

 勉強するということに対してアレルギー反応を示す人が少なくない。それは学校の勉強があまり面白くなかったからかもしれないが、職業生活を通じて仕事に必要なことをたくさん学んできたはずだし、今なら勉強を楽しめるのではないか。

 なぜ学校の勉強があまり面白くなかったのか。それは手段としての勉強だったからだ。良い成績を取るための勉強、受験を突破するための勉強の場合は、結果がすべてであり、点数ばかりを意識して勉強することになる。

 そうなると、「ここは重要だから試験に出そうだ」という箇所を中心に学ぶことになり、「ここは面白そうだから詳しく調べてみよう」といった学び方は許されない。そんな学び方をしていたら成果につながらない。だから学校の勉強は面白くなかったのだ。

 これに関しては、興味深い実験がある。

 心理学者のデシは、面白いパズルをたくさん用意して、パズルの好きな大学生に自由に解かせるという3日間にわたる実験を行った。

 その際、A・Bの2グループが設定された。1日目は、両グループともただ好奇心のおもむくままにいろんなパズルを解く。だが、2日目は、Aグループのみ、パズルが1つ解けるたびに金銭報酬が与えられた。Bグループは、前日同様ただ解いて楽しむだけだった。そして3日目は、両グループとも1日目と同じく、ただ好奇心のままに解いて楽しむだけだった。

 つまり、Bグループに割り当てられた人は、3日間とも好奇心のおもむくままにパズルを解いて楽しんだわけだが、Aグループに割り当てられた人は、2日目のみパズルが解けるたびにお金をもらえるという経験をしたのである。

 3日間とも、合間に休憩時間を取り、その間は何をしていてもよいと告げて、実験者は席を外した。実は、この自由時間に自発的にパズルを解き続けるかどうかを調べることが、この実験の目的なのであった。

 その結果、Aグループにおいてのみ、3日目にパズル解きへの意欲の低下がみられた。

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点数を取るためだけの勉強は楽しくない