そうした葛藤を経て、転職したり生き方を変えたりするにしろ、そのままの生き方を貫くにしろ、自分なりの検討を行った末の選択に基づいて、また仕事に没頭する日々は定年が見えてくるまで続く。したがって、成人後期は外向の時期と言える。

 そして、いよいよ定年退職を迎える頃、自分の生き方をめぐってあれこれ思い悩むようになる。自分らしい生き方、自分なりに納得のいく生き方を模索する。その意味で、老年期の入り口は内向の時期と言ってよいだろう。

 職業生活に縛られていた頃は、自分らしい生き方をめぐって思いを深める暇などなく、とにかく職業上の役割に徹するしかなかったわけだから、職業生活から解放されたからには、自分の世界にじっくり浸ってみるのもよいのではないか。

 現代はスピードアップの時代であり、フットワークの軽さにばかり価値が置かれがちだが、それはともすると思考の浅さにつながりやすい。反応が良くてフットワークは軽いのだが、どうも薄っぺらくて頼りないといった人物が目立つのも、熟考より反応の速さ、深さより軽さに価値を置く現代の風潮の反映と言える。そこで目を向けたいのが、内向の価値である。

 現代は、反応が速く、変化に対する適応のよい外向の価値ばかりが重視されるが、思考の深さ、発想の豊かさということを考えると、内向の価値にもっと目を向けてもよいだろう。

 深層心理学者のユングは、人間には自分自身への関心が強いタイプと他人や周囲の出来事への関心が強いタイプがあるとして、内向型と外向型という2つのタイプに分類した。

 内向型とは、自分自身への関心が強く、内面とのふれあいが豊かで、自分の心の中で起こっている主観的出来事をうまくとらえることができ、そうした主観的要因を基準に行動するタイプである。

 要するに、何をするにも、まず自分がどう感じ、どう考えるかが大切なのであり、他人の意向や世間一般の風潮などには動かされにくい。自分が納得いくように動きたいのである。

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エジソンも漱石も芥川も――