金田兄弟、野口兄弟とともに、兄弟選手の“最強御三家”のひとつに数えられるのが、富美男(大阪)、隆男(大阪、広島など)の藤村兄弟だ。

“初代ミスタータイガース”の兄は、“物干し竿”と呼ばれる長いバットをトレードマークに、当時の日本記録だった46本塁打(1949年)をはじめ、通算1694安打、224本塁打を記録。投手としても通算34勝を挙げた。

 4歳年下の弟・隆男も「練習量だけは兄に負けなかった」と自負し、最後まで投手をまっとう。1952年に25勝6敗で最高勝率に輝くなど、通算135勝を記録した。

 1970年代以降では、兄弟で通算181勝を記録した西武の松沼博久(通算112勝)、雅之(通算69勝)兄弟が、前出の御三家に次ぐ実績を挙げている。

“髭のアニヤン”の愛称で親しまれた兄は、翌79年4月24日の南海戦で8回を2失点に抑え、開幕からNPBワーストタイの12連敗を喫した西武に球団初白星をもたらした。同年は16勝10敗で新人王を獲得した。

 一方“オトマツ”と呼ばれた弟は80年から5年連続二桁勝利を記録。83年8月23日の近鉄戦で勝利投手になり、兄弟通算100勝(兄49勝、弟51勝)を達成している。

 大学時代はともに投手だったのに、プロで打者に転向したのが、薫(巨人-中日)、徹(中日-ロッテ)の仁村兄弟だ。

 兄は早大で通算17勝、弟は東洋大で通算29勝を挙げたが、プロ入り後、兄は外野手、弟は内野手に転向した。

 88年から3年間は兄弟揃って中日でプレー。同年6月5日の阪神戦では、途中出場の兄が6番、先発出場の弟が7番を打ち、スコアボードに2人の名前が並んだ。

 この試合で兄は2打席連続本塁打を放ち、生還直後、ネクストサークルにいた弟に祝福されている。

 オールスター史上初の兄弟継投を実現したのが、智(ヤクルト)、祐作(巨人)の入来兄弟だ。

 01年7月21日の第1戦で、全セの先発を弟が務め、3回2死から兄がリリーフ。ともに失点を許したが、スタンドに招待した両親に兄弟リレーを見せることができ、「親孝行になりました」と口を揃えた。

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“兄弟対決”が話題となったのは…