さらに2001年のアメリカ同時多発テロ、2011年の東日本大震災、原発の事故によって、未来に対する不安定さはさらに増していく。同時にこの国の政治、経済、文化の後進性があらわになり、格差と分断も広がり続ける。「いくら何でも、このままでいいわけがない」という危機感は徐々に芸術家、小説家、映画作家、そしてミュージシャンなどにも共有されるようになった。

 周知のように坂本龍一は00年代以降、社会問題に積極的にコミットし、数多くのプロジェクトを立ち上げた。アメリカ同時多発テロを受けた論考集「非戦」の監修、森林保全団体「一般社団法人more tree」の創設、地雷除去活動のチャリティー曲「ZERO LANDMINE」のリリース、脱原発をテーマに掲げたロック・フェスティバル「NO NUKES」の開催。それらの活動は、音楽ファンはもちろん、広く社会に影響を与えた。生前、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事らに送ったことも記憶に新しい。

 一方で坂本は「音楽の力」という言葉を嫌った。朝日新聞の2020年1月30日の記事(「音楽の力」は一番嫌いな言葉 坂本龍一さんが抱くトラウマ)にも「音楽にメッセージを込めるとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです」という言葉が掲載されている。音楽家としての表現を追求したいという意思と社会に対する発言や行動はまったく別だが、職業に関係なく、言うべきことは言い、やるべきことはやる。坂本の姿勢は最期まで一貫していたように思う。

■「普通に、マジメに働いている人間がいちばん偉い」と語った山下達郎

 山下達郎もまた、音楽と社会的な活動を切り離してきたが、坂本との違いは、政治的・社会的な発言や行動を全く行っていないということだ。そのスタンスの根底には「音楽家なんて、大したものではない」という含羞や卑下があるのだろう。

 以前、山下に取材の機会を得たとき、彼は「普通に、マジメに働いている人間がいちばん偉い」「昔から、文化人とか、知識人という呼称が嫌いだった」「どんなに狭くても、座布団一枚でもいいから、自分の座れる場所があればいい」などと語っていたが、彼のそういう価値観と“社会に対して異議を唱える”行為は相反するのだと思う。

 とはいえ、日本のポピュラー音楽の第一人者となって久しい山下が、大きな社会問題に対しても一線を画すのはどうなのか?という意見があるのも事実だ。先述した通り、山下、坂本をはじめ素晴らしい才能が世に出た70~80年代はこの国のポップスの歴史において、もっとも充実した時期だったと言っていい。そのバックグラウンドには社会の安定や“この先も経済的な発展が続く”という楽観があり、そのなかで彼らが才能を発揮できたのは、“たまたま1950年代に生まれたから”という偶然もあったはずだ。音楽に没頭できたのも、他のことを考えなくていい状況があったから、というのは言い過ぎだろうか。

 しかし、今は違う。LGBTQ、子どもの貧困問題、環境問題など深刻な問題が山積みで、それは政治家や企業家に任せていれば何とかなる話ではなく、ひとりひとりが危機意識を持ち、何かしらの発信をする必要に迫られているのだ。もちろん音楽家も同じだろう。

 好きな音楽を聴いて、日々を穏やかに過ごしていたい、面倒なことは考えたくもないという気持ちはもちろん筆者にもある(これだけ税金が高いのだ、生活するだけで精いっぱいです)。しかし、ノンポリを気取っていられる時代はとっくに終わっている。冒頭に紹介した「サンデー・ソングブック」でオンエアされた素晴らしい音楽に耳を傾けながら、ただただ音楽を楽しんでいればいい時代を懐かしく思い、どう考えても楽観的ではいられない社会の現状と未来を憂いたのだった。

(森 朋之)

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森朋之

森朋之(もり・ともゆき)/音楽ライター。1990年代の終わりからライターとして活動をはじめ、延べ5000組以上のアーティストのインタビューを担当。ロックバンド、シンガーソングライターからアニソンまで、日本のポピュラーミュージック全般が守備範囲。主な寄稿先に、音楽ナタリー、リアルサウンド、オリコンなど。

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