幼い頃から可愛いもの好き
のびのびと育てられた

 ryuchellは1995年、沖縄県の宜野湾市に生まれた。5人きょうだいの末っ子で、一番上の姉とは16歳、すぐ上の姉とは8歳年が離れている。沖縄の方言で「わしりんぐゎー」、忘れたころに生まれた子ども、というらしい。

 父は「ザ・沖縄の男」。お酒好きでポジティブ、常に人を笑わせる「なんくるないさ~」精神の持ち主。いっぽう母はリアリストで細やか。ryuchellは二人の性格をきっちり等分に受け継いだ。

 3歳のときに両親が離婚して、以後は母と暮らし、週に何度かは父の家に泊まるようになった。5歳の誕生日、父と母と北谷(ちゃたん)にある大観覧車に乗ったときの記憶は鮮烈だ。二人は言葉を交わすわけでなく、ただ自分のためだけに同じ空間にいてくれた。

「ああ、自分はどちらからもたっぷりの愛をもらっている!とあのとき感じた。いままでの人生で、あれを超える喜びはないですね」

 年の離れたきょうだいにも可愛がられた。3人の姉たちはryuchellをバービー人形のように着替えさせ、ショッピングや彼氏とのデートにも一緒に連れていった。家に誰もいなければ近所のおばあのところで「ゆんたく(おしゃべり)」すればいい。沖縄では地域で子どもを育てる、が当たり前。寂しいと感じたことはなかった。ただ、母の苦労は感じていた。

「やっぱり女手ひとつで子どもを育てるのは大変で、お金もなくて。子どもながらに、お母さんを悲しませないようにしないといけないなあ、といつも思っていました」

 母は何かを思い詰めると、ベランダでタバコを吸う。母が部屋に戻ってきたときには何か絶対おもしろいことを言って笑わせてやろう、と思った。人を笑わせる、という感覚はこのころ身についた。

 幼稚園にあがる前から、自分の好きなものが、同世代の男の子とは違うことは感じていた。お人形遊びが好きで、可愛いものが好き。幼稚園でバービー人形で遊んでいると、同い年の子に「りゅうは男なのになんで?」と言われてしまった。「僕、ちょっと変?」と心の片隅で思うこともあった。

 だが両親は「男らしくしなさい」などと一切言わなかった。姉たちの影響を受けながら、子ども時代はのびのびと自分の好きなものを貫いた。

 もともと沖縄は、多様性が根付いた土地だとryuchellは言う。特にryuchellが住んでいた中部には普天間、嘉手納基地をはじめ広大な米軍基地があり、暮らしのそばにアメリカ兵がいる。国際結婚も多く、離婚率も高く、シングルマザーも多い。ryuchellの父方の祖父も米兵だ。父が生まれてすぐアメリカに帰った祖父について、祖母は多くを語らなかった。

2022年5月に東京・丸ビルのマルキューブで行われた「沖縄復帰50年 HAPPY OKINAWA FESTA 2022」にゲスト出演し、具志堅用高(写真左)やゴリ(右)と爆笑トークで盛り上げる。自身のルーツ・沖縄にできる限りのことをしたいと考えている。(撮影/篠塚ようこ)
2022年5月に東京・丸ビルのマルキューブで行われた「沖縄復帰50年 HAPPY OKINAWA FESTA 2022」にゲスト出演し、具志堅用高(写真左)やゴリ(右)と爆笑トークで盛り上げる。自身のルーツ・沖縄にできる限りのことをしたいと考えている。(撮影/篠塚ようこ)

「中部は貧富の差も大きくて、小学生から新聞配達をしたり、中学生から路上でアイスクリン売りをしたりするのが当たり前。僕だけじゃなくみんな『修羅くぐってる』んです。いろんな人を見るなかで多様な考え方になるし、自立心も強くなる」

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自分を隠して振る舞った中学時代