帰宅後、鏡に向かって口角を上げて笑顔をつくったり、オーバーなジェスチャーでしゃべってみたり。他の部員に「寄せる」努力もしてみたが、結果は伴わない。追い詰められていた時、部のリーダーが声をかけてくれた。
「俺と一緒に営業に行くか」
リーダーは典型的な体育会系のトップクラスの営業マンだった。渡瀬さんは内心、「あなたの営業を見せられても参考にならないよ」と思った。だが、同行した営業の現場で渡瀬さんは生涯忘れがたい場面に遭遇する。
「お客さんを前にしているのに、なかなか商品の説明をしないばかりか、ほとんどしゃべらない。そのうち、お客さんの方からぽつりぽつり話すと、リーダーもそれに応じてぼそぼそしゃべる感じでした」(同)
渡瀬さんが「サイレントセールス」に初めて接した瞬間だった。場を盛り上げる天才のようなリーダーが、職場とは別人のように口数が少なかった。普段とのギャップに「体調でも悪いのか」と案じたほどだ。すると突然、客が商品を注文した。
「その日に訪ねた三つの営業先すべてで、そんな雰囲気で商品が売れたんです」(同)
■入社10カ月でトップに
なぜ売れたのかが分からない。帰り際、「あんなにしゃべらない感じでも売れるんですね」と渡瀬さんが問うと、リーダーは「お前、何言ってんだよ。営業はべらべらしゃべってもしょうがないんだよ」といつもの調子でまくしたてた。そしてこう加えた。「そういう意味では、本当はお前なんて営業に向いているんだけどな」
口から出まかせで言われたようには感じなかった。「あんな雰囲気の営業だったら自分にもできそうだ」と考えた渡瀬さんは、リーダーが実践した営業スタイルを反芻しながら、なぜ商品が売れたのか、じっくり検討を重ねた。見えてきたのは自分の営業力の未熟さだ。「場を盛り上げなければいけない」という固定観念に縛られ、自分の表情や話し方ばかりに気を取られ、客の仕草や言葉に向き合っていなかった。客に意識を向け始めると、効果はてきめん。渡瀬さんの営業成績はみるみる上昇し、入社10カ月目にして営業達成率全国トップに躍り出た。このとき、渡瀬さんには「頑張った」感覚はあまりなかったという。