ここ一番で輝き、ヒーローになる浅野選手ですが、その瞬間まではむしろ、苦しんでいる時間の方が多かったように思えます。だからこそ、結果を出した瞬間は心を打たれるものがありました。
そんな彼の歩みと、飾らない人柄の両方を、少しでも多くの方々に知ってもらえれば。私が携わってきた浅野選手の新著の編集でも、オンラインイベントでも、通奏低音の思いとしてありました。
浅野選手は18年のW杯ロシア大会では、最後の最後に日本代表から落選。バックアップメンバーとしてチームに同行し、夢のW杯の舞台を近くて遠いものと実感します。
そこから始まったカタール大会を目指す日々は、試練の連続でした。
意気揚々と臨んだドイツで結果を残せず、苦悶(くもん)します。干されたこともありました。
その後、辺境のセルビアへ移り、「世間から忘れられている」と思いながらも、着実に足元を固めていきました。それなのに、セルビアを不本意な形で去らざるを得なかった悔しさ。
そして、カタール大会直前には大ケガが降りかかります。
それらをすべて乗り越えた先のドイツ戦のゴール。そこに至るまでの4年半を、ドキュメント形式でつづったのが新著『奇跡のゴールへの1638日』です。
激動の4年半について、浅野選手はオンラインイベントで「苦しいとは一切感じていなかった」と断言しました。一方で、「過去の自分を他人として見たときに、よくやっていたなと思うときはある」とも。その一例に挙げたのが、ドイツ・ハノーバーに所属していた19年のことでした。
当時、クラブ幹部の意向でシーズン終盤の約2カ月間、公式戦に起用されなくなりました。
いくら練習を積み重ねても、どれだけ状態や調子が良くても、たとえチーム一のパフォーマンスを見せたとしても、出番が与えられない。競争すらできない状況に追い込まれていました。
チームメートからは「(頑張っても)意味がないんだから、日本に帰ってオフをとればいいじゃないか」とまで言われたそうです。