W杯カタール大会のドイツ戦の後半、浅野拓磨(18)はシュロッターベックを振り切り勝ち越しゴールを決める=2022年11月23日、ハリファ国際競技場、金居達朗撮影
W杯カタール大会のドイツ戦の後半、浅野拓磨(18)はシュロッターベックを振り切り勝ち越しゴールを決める=2022年11月23日、ハリファ国際競技場、金居達朗撮影

 ここ一番で輝き、ヒーローになる浅野選手ですが、その瞬間まではむしろ、苦しんでいる時間の方が多かったように思えます。だからこそ、結果を出した瞬間は心を打たれるものがありました。

 そんな彼の歩みと、飾らない人柄の両方を、少しでも多くの方々に知ってもらえれば。私が携わってきた浅野選手の新著の編集でも、オンラインイベントでも、通奏低音の思いとしてありました。

 浅野選手は18年のW杯ロシア大会では、最後の最後に日本代表から落選。バックアップメンバーとしてチームに同行し、夢のW杯の舞台を近くて遠いものと実感します。

 そこから始まったカタール大会を目指す日々は、試練の連続でした。

 意気揚々と臨んだドイツで結果を残せず、苦悶(くもん)します。干されたこともありました。

 その後、辺境のセルビアへ移り、「世間から忘れられている」と思いながらも、着実に足元を固めていきました。それなのに、セルビアを不本意な形で去らざるを得なかった悔しさ。

 そして、カタール大会直前には大ケガが降りかかります。

 それらをすべて乗り越えた先のドイツ戦のゴール。そこに至るまでの4年半を、ドキュメント形式でつづったのが新著『奇跡のゴールへの1638日』です。

 激動の4年半について、浅野選手はオンラインイベントで「苦しいとは一切感じていなかった」と断言しました。一方で、「過去の自分を他人として見たときに、よくやっていたなと思うときはある」とも。その一例に挙げたのが、ドイツ・ハノーバーに所属していた19年のことでした。

 当時、クラブ幹部の意向でシーズン終盤の約2カ月間、公式戦に起用されなくなりました。

 いくら練習を積み重ねても、どれだけ状態や調子が良くても、たとえチーム一のパフォーマンスを見せたとしても、出番が与えられない。競争すらできない状況に追い込まれていました。

 チームメートからは「(頑張っても)意味がないんだから、日本に帰ってオフをとればいいじゃないか」とまで言われたそうです。

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