――修士論文を書いたんですか?

 一応書きましたけど、今思い起こしてもひどいものでした。でも、とにかく論文を書いて、博士課程に進みました。そこでゲーム理論の魅力にますますハマっていったんですが、経済学では博士号を取っても就職は必ずしも簡単ではない。それで、同級生たちもみんな暗くなっていく。その中で私は明らかに落ちこぼれで、ますます将来が見えないっていうか、私なんかダメじゃんって思って、ものすごく落ち込んで、半分ぐらい逃げ道として留学したんです。

――米国のペンシルベニア大学ですね。名門大学で、とくに医学や経営学の大学院が有名です。

 東大との交換留学制度があって、それに乗っかっていきました。結局3年いて、こんなに厳しいのはないっていうくらい厳しかったんですけど、一方でなんだか本当に楽しくて、やっぱり経済学が面白いなって思いました。

ペンシルベニア大学に留学していたとき。住んでいたアパートの裏で両親と=2001年6月、小林佳世子さん提供

 最初の6週間は数学しかしないんです。最後に試験をやって、秋から正規の学期が始まってミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学を二つずつやって、1年生の終わりに6科目の試験を受けるんですけど、1科目でも落ちたら基本的には退学になる。同級生は30人ぐらいいましたけど、学期の途中でもどんどん脱落していく。

 私はゲーム理論については東大で勉強していて2度目だったので、同級生に頼られて教える側になった。学部生のティーチングアシスタントになり、学部生にミクロ経済学や数学も教えました。留学生同士で経済学の根っこみたいな部分の議論をしたのも懐かしい思い出です。

 交換留学生として行きましたけど、向こうのPhDコース(博士課程)に移りたいと思い、結局移れたんですけど、ちょっともめてゴタゴタしたんです。移れなかったら日本に戻らないといけなかったので、日本での就職先を探しました。そうしたら南山大が公募していて、応募したら専任講師で採用していただけた。

 就職してからまた米国に戻って博士号を取りたいと思い、南山大も「戻っていいよ」と最初は言っていたんですが、いろいろあって、結局戻れなかった。それで、私は学位を持っていません。

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