――そうなんですか。

 それもあって、奥野先生に指摘されたように、私はずっとコンプレックスが抜けなかった。ただ、南山大で経済学を教えるようになったら、教えることはすごく楽しくて、学生さんも本当に反応がいいし、学生さんの力が伸びていくのが本当に楽しかった。

 そのうち、経済学の世界で認められる仕事をするのはもう無理なんだ、自分はみそっかすなんだから、と吹っ切れた。正確にいうと、徐々に吹っ切れるようになった。それが結婚して子どもを産んだころのことです。

――子どもを欲しいと思っていたのですか?

 私ではなく、向こうが欲しいと言い出して、それで慌てて結婚した感じです。就職してから知り合って、お付き合いを始め、私は籍は入れなくてもいいかなと思っていたんですけど。彼は子どもが大好きだったらしくて、夏休みに教会の子どもたちをキャンプに連れて行ったりしていた。子どもが欲しいという話が出たとき、高齢出産になると思ってすぐ不妊治療に行きました。

――え、まだ結婚していないのに?

 はい。不妊治療の本を買って読んで、産婦人科に行って、「年齢相応でとくに問題はない」って言われたんですけど、すぐに治療を始めてくださいってお願いしました。

――え~、普通はまず自然に任せるでしょう。

 悠長なことは言っていられないと思ったんです。結婚式の段取りはすべて向こう任せ。結婚式の翌月に妊娠がわかって、無事に長男が生まれました。分娩台の上で「次の出産は」って話したら、先生に「ここでその相談をする人は珍しいね」って言われた(笑)。

 2人目も男の子で、3人目は女の子が生まれました。1人目のときも2人目のときも主人が1年ずつ育休を取った。ちょうど男性にも育休をという流れが出てきたときでした。

3人の子どもと夫とともに=2018年9月、小林佳世子さん提供

――それにしても男性が1年ずつ2回も育休を取るというのは珍しいですね。

 そこはもう凄い人だと思うし、感謝しかありません。離乳食とかもほとんど主人が作ったんです。もともと一人暮らしが長くて、居酒屋さんで調理のアルバイトをしたぐらい料理が上手で、お菓子作りも好き。家の中のことを本当に何もかも引き受けてくれる人です。そうでないと、正直、私はこんな本を書けていないです。

 子どもができたら学会や研究会へはまったく行けなくなって、論文一つまともに読む時間も取れなくなって、さんざん悩んだんです。でも、ある意味、もう評価されないから、何をしても平気ってなって、自分が面白いと思うものだけを読み散らかし始めた。行動経済学から心理学、脳科学、さらに動物の話とか赤ちゃん研究とか文化人類学とかまで、いろんなところに行っちゃった。そうしたら全部つながっている。

 もともと学問の世界にはものすごい壁がたくさんあって、ちょっと隣の分野に行くだけでも何をやっているかわからなくなるんですけど、とりあえず気にせず突っ込んでいってみると、本当に豊かな世界があった。すごい頭のいい人が真剣に考えた面白い結果がいっぱいある。それで面白くてたまらなくなった。

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