だけど、論文はなかなか書けない。このままでは大学にいられなくなるのではというプレッシャーを感じながら、3人目が生まれた年にかろうじて紀要論文をまとめました。

 このときは私が育休を取ろうとしたんですけど、結局、育休という形にはせずに授業や仕事を減らしていただきました。卒論ゼミなどの仕事があるときは大学に行き、個人的に頼んだシッターさんに研究室で子どもを見てもらいながらゼミをしました。それ以外の仕事は自宅でしましたけど、授乳しながら論文を読んでそのまま寝落ちしてしまうこともしょっちゅうあったし、つい仕事に夢中になって目を離していたら子どもが危ない目に遭ってしまったこともあって……。そこは、本当にあの子に申し訳ない気持ちしかありません。

■これ以上ないほどの大切な教え

――そうやって書いた紀要論文がもとになって本ができたんですね。

 憑かれたように何度も何度も書き直しました。途中段階で他分野も含めた多くの先生方に原稿を読んでいただけて、多数のコメントをいただけました。なかには、忘れられないほど厳しいコメントがあった。それでも、そうしたコメントがあったからこそ、私がごまかしていたり逃げていたりする部分に、正面から向き合わざるを得ないことに気が付いた。

「批判を恐れて自分を偽るな」ということは、このときに教えていただけたと思っています。今の私にとって、これ以上ないほど大切な教えです。

――それにしても、経済学のどこがそんなに魅力的だったのですか? 

 学部生のときは、社会の問題をこんな切り口で見ると、こんなふうに見えるんだという、新しいものの見方の鮮やかな面白さにハマりました。それまでこういう考え方をしたことがなかったので。次に大学院でハマったのは、理論の美しさです。どうしようもないほどの、数学的な美しさです。神々がつくったのではないかとまで思わせられる、一分の狂いもないっていうような、いくら見ても見飽きないような美しさがたまらなくて、逆に現実世界はどうでもいいっていう時期が大学院時代の経済学でした。

 ただ、この世界にいる限り、私が何か新しいものを生み出すことは無理だなって思った。あまりに完成しているので。この美しさを見ることができただけでも本当に幸せだわって思いながら、でも私はどういう論文を書くのか、いつまでもテーマが見つからなかった。見つからないまま、日本に戻り、悪戦苦闘してきたわけです。

次のページ 本当に頭が上がりません。