そのモヤモヤの正体を正面から追究したのが、この本です。もとになったのは、大学でやった3回目の講演会です。1回目と2回目は、「きっとこんな話なら面白がってくれるのでは」と考えてやったんですが、ことごとくダメで、大失敗でした。

 3回目は、正直もう嫌で嫌でしょうがなかったんですが、開き直って自分が面白いと思ったことだけを話すことにした。そうしたらとても評判が良くて、同僚の先生方からも「すごく面白かった」と言っていただけた。「なんだ、自分が面白いと思う話は、他の人にも面白いと思ってもらえるんだ」と、このとき気が付けました。

――それで本にしようと思ったのですか?

 まずは短い論文にまとめて大学の紀要に掲載しました。これをもとに本にしたいと思って、第一稿を書きました。

 骨格はできているのだから、一般向けに言葉を少しやさしくして、あとは最新研究の流れを一通り見直して確認すればいいだろうと考えていたら、とんでもなかった。改めて調べ直してみると、さまざまな専門分野の関連文献が次々に出てきて、いつまでたっても終わらない。それに、用語一つとっても分野ごとに使い方もずいぶん違っていて、私の本の中でどうやって統一するのかすごく悩みました。引用する論文の内容を正しく言い換えるために、その分野の学部の教科書から読み直して、関連文献を山のように積み上げて、言葉の使い方を一つ一つ確認して……などという作業も当たり前になりました。

 強く意識したのは、「誰にでも読める」、けれど「専門書としての質も落とさない」ことでした。最大の理由は、改めて学際研究の必要性を強く感じたからです。他分野の人と議論をするためには、互いに理解できる言葉で書く必要が絶対にあると思いました。

■自分の考えを主張するのは怖かった

――確かに高校生でも面白く読める本に仕上がっています。

 ありがとうございます。ただ、当初は「自分の考え」を入れることは意識的に避けていました。こんな無名の人間の考えなど、誰も聞きたくないだろうと思って、それぞれの学問の「標準的な考え方」をきちんと紹介する本であろうとしたんです。

 でも、本音を言えば、ただ怖かっただけです。専門外の分野の話をたくさん借用しているので、もしかしたら何か勝手な解釈をしてとんでもない間違いをしているかもしれない。それだけでも怖いのに、それをベースに自分の考えを主張していくのは、もっと怖かった。

 ところが、第一稿を読んでくださった、東京大学大学院時代の恩師である奥野正寛先生に叱られました。「君の考えをちゃんと出せ」と。「小林さんは、コンプレックスを持っておられるようで、自分には業績がないとしばしば発言されます。この書物をあなたの学術的貢献にしようとは思わないのですか?」と背中を押されました。

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