南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任し、5度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた野村克也氏。監督通算1565勝は歴代5位だ。
【年俸ランキング】2022年セ・リーグ個人年俸上位20傑はこちら
社会人野球・シダックスの監督も歴任し、教え子には現在の球界で活躍する指導者が多い。21、22年とリーグ連覇を飾ったヤクルト・高津臣吾監督、ロッテ・吉井理人監督、楽天・石井一久監督、日本ハム・新庄剛志監督…、昨季限りで退任した西武の辻発彦前監督、阪神の矢野燿大前監督も現役時代に薫陶を受けた。侍ジャパンの栗山英樹監督、侍ジャパン前監督の日本ハム・稲葉篤紀GMも野村イズムを学んでいる。
野村氏で連想するのが、「ID野球」だ。相手を徹底的に分析し、頭脳をフル回転させて緻密な野球を突き詰める。ヤクルトで当時長打力が持ち味だった広澤克実、池山隆寛(現ヤクルト2軍監督)に三振数を減らし、状況に応じた打撃を指導。正捕手に抜擢された古田敦也は球界を代表する捕手となった。90年代の監督在任中にリーグ優勝4度、日本一3度と黄金時代を築いた。ID野球を「弱者が強者を倒すための兵法」と語り、巨大戦力の巨人に立ち向かう。その戦いぶりはプロ野球の常識を変えたと言われるほどだった。
野村監督は育成手腕にも定評があった。ヤクルトでは飯田哲也をセンターにコンバートし、守護神・高津にシンカーの習得を助言。阪神時代は矢野、井川慶、赤星憲広、藤本敦士(現阪神1軍内野守備走塁コーチ)を一本立ちさせ、楽天でも田中将大、嶋基宏(現ヤクルト1軍バッテリーコーチ)、渡辺直人(現一軍内野守備走塁兼打撃コーチ補佐)ら主力選手の育成に精力を注いだ。
若手だけではない。伸び悩んだり、実績はあるがくすぶっていた選手の能力を引き出したことから、「野村再生工場」と形容された。相手バッテリーの配球を読む打撃指導を受け、楽天で39歳の時に本塁打、打点の2冠王に輝いた山崎武司、阪神で「松井秀喜キラー」として輝きを放った遠山奨志(浪速高校野球部監督)、広島で引退勧告を受け、ヤクルトに移籍1年目の97年開幕戦・巨人戦で斎藤雅樹から3打席連続アーチを放ち、同年の日本一に大きく貢献した小早川毅彦は代表格だろう。ダイエーでは通算2勝だったが、ヤクルト移籍1年目の96年に12勝、97年に15勝と大ブレークした田畑一也(韓国・三星ライオンズ投手コーチ)も印象深い。