鈴木も入団時は140キロ後半の直球とスライダーが武器のサイド右腕だったが制球力が課題で、1軍に定着できなかった。転機は22年の春季キャンプ。新庄監督にアンダースローへの転向を提案されてフォーム改造を決断。制球力が改善され、昨季は19試合登板で2勝1敗3ホールド、防御率2.84をマークすると、今年は4月中旬に先発に転向。14試合登板で5勝2敗1ホールド、防御率1.75と好成績を残している。

 日本ハムを取材するスポーツ紙記者は「鈴木はアンダースローに転向していなければ、野球人生が終わっていたかもしれない。それほど新庄監督との出会いは大きかった。田中正、江越も自分のストロングポイントを生かし切れていなかったが、結果を出すことで自信を深めていると思う。優勝争いに食い込むにはもう少し時間がかかりますが、12球団で一番伸びしろがあるチームだと思います。新庄監督の強い希望で獲得した加藤豪将、二刀流のドラフト1位・矢澤宏太、野村佑希、五十幡亮汰ら楽しみな選手が多い。目指す野球が浸透して、2、3年後にどのようなチームに進化しているか楽しみです」と期待を込める。

 新庄監督が野村氏の指導を受けたのは阪神時代の99、00年の2年間。00年に131試合出場で打率.278、28本塁打、85打点と自己最高の成績を残し、翌年にメジャー挑戦で米国へ旅立った。

 当時阪神を取材していたテレビ関係者は、「性格が対照的だったので、就任前は衝突するのではないかと心配の声がありましたが、野村さんは新庄監督のことをかわいがっていましたね。固定観念にとらわれない野球観は相通じる部分があったのだと思います。新庄監督は野村さんにも『ミーティングを短くしてもらえませんか?』、『(打撃指導で)いっぺんに言われてもわかりません』など忖度しない。でも野村さんは真っすぐな思いで話してくれる新庄の言うことに耳を傾けていました。新庄監督も野村さんが大好きで積極的に話しかけていた。本当に強い絆で結ばれていましたね」と振り返る。

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