ドナーリンク・ジャパンの設立記者会見。左から石塚さん、久慈さん、仙波さん=2023年4月11日、厚生労働省(撮影/大塚玲子)

 ドナーリンクの立ち上げは手探り続きだった。石塚さんと仙波さんが最初に話し合ったのは、ドナーリンクの仕組みだった。海外には、米国のように当事者が民間のDNA検査会社を通して各自で結びつくやり方と、欧州や豪州のように団体が当事者の交流を仲介するやり方がある。前者のほうがシンプルだがトラブルも起きやすいことを知り、DLJでは仲介を入れる後者の形を採用することにした。

■ドナーの病歴知っていたら、覚悟ができたかもしれない

 生まれた人が知ることができるドナー情報の範囲にも頭を悩ませた。生まれた人にとって提供者を知ることは当然の権利と考えられ、今後行われる配偶子提供では情報開示の範囲を生まれた人が決めるべきだと石塚さんらは考えている。だが、DLJで扱うのは過去に実施されたAIDだ。匿名という条件でドナーを引き受けた人に対し、生まれた人が望む全ての情報開示を求めることはできないと考え、開示範囲はドナーの判断に委ねることにした。

 最も判断が難しかったのは、DNAの検査を受けられる人の範囲設定だった。当初は医療機関以外で行われたAIDを含めることも検討したが、親子関係をめぐって訴訟が起きるリスクがどうしても残る。そのため「当面の間、日本産科婦人科学会に登録されているAID実施医療機関で実施されたAIDのみ」としたが、「今後、範囲を見直す可能性はある」と仙波さんは話す。

 今後の最大の課題は、いかにして登録者を増やすかということだ。登録する人が少なければマッチングの確率は上がらず、団体の存続も難しくなってしまう。ドナーについては、少しでも登録のハードルを下げるため検査料を無料としたが、それでも登録者はすぐには増えないことを予想している。

 AIDで生まれた人たちがどの程度登録するかもわからない。これまで医療機関はAIDを実施する際、子どもに事実を告げないよう指示してきたため、自分がAIDで生まれたことを知らされていない人がほとんどだ。知らなければDLJにも登録しようがない。

 既に登録を決めた当事者もいる。石塚さんと同様、慶応大学病院で実施されたAIDで生まれ、30代のときに母親から事実を告げられた60代の女性だ。女性は20年ほど前に難病を発症し、その後がんも患った。今も日常生活に支障をきたしている。難病は母方の親類には見られず、ドナーから遺伝した可能性が高い。女性はこう話す。

「もしもっと若い頃にドナーの病歴がわかっていたら、ある程度覚悟ができたかもしれません。私のドナーは既に高齢で亡くなっている可能性が高く、見つかるとしたら異母きょうだいですが、やはり会えるなら早く会いたい」

 女性は団体の継続方法も案ずる。長期にわたる運営が必要だが、現状はスタッフが無償で支えているからだ。

「ドナーリンクは本来、国や病院が責任をもって行うべきことでは。不妊治療の助成を手厚くするより、まずは過去に行ってきた治療で悩み苦しむ人を救ってほしい。DLJのような団体こそ国は応援してほしいです」

 出自がわからないという煩(わずら)いを終わらせるべく当事者と関係者らが立ち上がった。20年近く法整備を放置した政治家たちは、その責任を感じてほしい。(ライター・大塚玲子)

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