撮影/東川哲也
撮影/東川哲也

 あれから7年……、高知は変貌した。いまや依存症予防教育アドバイザーとして啓発セミナーや講演に飛び回る。自伝的小説『土竜(もぐら)』(光文社)を執筆し、映画出演、歌の作詞やデュエットとジャンルを超えて活動する。「リカバリー(回復)カルチャー」の旗手に躍り出た。「心の防弾チョッキを脱いで、ありのまま素直に生きるのが心地いい。出会える人たちが新鮮で、毎日が楽しいんです」と穏やかな笑みを浮かべる。

 いかにして高知は自己変革を遂げたのか。内なる闇との激しい葛藤をくぐって、どう新境地に行き着いたのか。その心の旅路をたどってみたい。

 保釈から数日後、サングラスにマスク、カツラを被った高知は、東京都小平市の国立精神・神経医療研究センターの門をくぐった。留置場でマトリに紹介された精神科医に会うためだ。緑豊かな敷地の低層の白い建物に入っていった。

 センターの精神保健研究所薬物依存研究部長・松本俊彦が現れる。長身で細身のジャケットを着こなし、口髭(ひげ)をたくわえた松本はとても医師には見えなかった。松本は「大変でしたね」といたわり、こう話しかけた。

「高知さん、あなたは薬物依存症という病気です。ご自分の意志では薬物の使用をコントロールできなくなってしまう障害を抱えています。治療をして、回復をめざしましょう」

「えっ、病気? いえいえ、先生、僕は病気じゃない。運が悪かったんです」。とっさに高知は抗(あらが)う。病気を認めたら入院させられてしまうと怯(おび)えた。留置場の苦しさが頭をかすめる。その後も定期的に松本と会ってカウンセリングを受けたが、なかなか病気を認めようとはしなかった。

 保釈後の1年間はエステサロン4店舗の整理に忙殺された。顧客に頭を下げ、スタッフに詫(わ)びて彼らの再就職先を探す。ようやく残務処理が終わると、胸にぽっかり穴が開き、地獄の苦悩にとりつかれた。何をして生きていけばいいのか、全然わからない。手がかりゼロなのだ。狛江の寮を出て横浜の中古マンションに移ったが、暮らしが立たない。愛車のベンツや、高級時計を次々と売り払う。メディアは「極秘復縁か」「離婚したはずなのに……」と元妻との関係が続いているかのように書き立てる。怒りがこみ上げた。親身になって励ましてくれた人物には「人生変わるから、この金のカエル買わないか」と売りつけられる。ネットワークビジネスに新興宗教、四方八方から手が伸びてきて、極度の人間不信に陥った。4年の執行猶予が明けるまで、こんな生活が続くのか。絶望感に苛まれ、「死のう」と思いつめた。

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