ずばり弱点を突いてくる田中に「もうやっていられない。なんでそこまで言われなくちゃならないんだ」と何度もキレかかった。精神科医の松本は12ステップについて、こう説く。
「病院では依存症の症状や問題行動を修正します。でも生き方や、信念を変えるには医療とは別の精神的な領域がかかわってくる。12ステップは、その行動指針を得る手段です。これまで語れなかったことを人前で語るのは自分のなかの壁を突破し、新しい領域に踏み出す体験だろうと思います」
長い月日をかけ、帯状疱疹(たいじょうほうしん)2度、眩暈(めまい)症を3度発症しながら12ステップをやり通す。そこから立ち現れたのは苛烈(かれつ)な半生だった。
高知は本名を大崎丈二という。物心ついたときには祖母と伯父家族と高知市街の家で暮らしていた。両親がいない理由を祖母に聞くと、「死んだじいちゃんが鏡川に釣りに行って、赤ん坊のあんたが箱に入れられて流れていたのを拾ってきた」と告げられる。戦死した祖父が丈二の生まれた時代にいるはずもないが……。たいてい祖母と2人で、伯父一家の余りものを食べた。たまに「笑わせてくれたら食べさせてやるよ」と伯父にからかわれ、必死でモノマネをしてご馳走にありつく。
小学校5年に上がり、祖母から「この人がほんとうのお母さんや」と教えられ、実母とマンションで暮らし始めた。着物姿の母との生活は暗闇を手探りで進むような不安と緊張の連続だった。母と外に出れば、若い衆が付き従い、母を「姐(あね)さん」、丈二を「ぼん」と呼ぶ。ときどき母は連絡もないまま家をあけ、学校の行事にも顔を出さない。
ある日、「丈二のお父さんよ」と引き合わされた男性は、土佐で有名な侠客(きょうかく)だった。母はその人の愛人だと知る。組どうしの出入りで母が背中を斬りつけられる場面にも遭遇した。
■息子と会った2時間後に母は自ら命を絶った
中高一貫校で全寮制の明徳(現・明徳義塾)に進み、野球部に入る。高2の3学期、野球部の保護者会の炊き出しに珍しく母がジャージ姿で参加した。エプロンをかけて立ち働く姿に嬉しさがこみ上げる。高3の夏、野球部を引退して間もなく、母が車で寮に訪ねてきた。そこで母と共有した時空は……、太い鉄鎖のように心を縛り続けた。