競輪の聖地、東京オーヴァル京王閣で催された「ギャンブル依存症トークショー」に登壇し、軽妙な語りで依存症を啓発(右は田中紀子)。近くにブースを開き、来場者のアンケートも(撮影/東川哲也)
競輪の聖地、東京オーヴァル京王閣で催された「ギャンブル依存症トークショー」に登壇し、軽妙な語りで依存症を啓発(右は田中紀子)。近くにブースを開き、来場者のアンケートも(撮影/東川哲也)

 そうしたなか、突然、マトリから携帯に「ちゃんとやっていますか」と連絡が入り、ぎょっとした。いくら捜査機関とはいえ、なぜ携帯番号を……。憤りが募り、心理的変化が生じる。とにかく薬物を止(や)めている事実を公にしなくてはいけない。「受診のたびに毎回、尿検査をしてください。証拠を積み重ねたいんです」と松本に申し出た。

■幼いときから両親はなく祖母と伯父家族と育つ

 依存症と向き合う素地が整った。殻に閉じこもるだけでは、この病気は癒やせない。外界とのつながり方に左右される。18年4月、世間の流言に対抗し、逮捕後中断していたツイッターを再開した。日記風に出来事を呟(つぶや)いて薬物と縁を切ったようすを伝えたい。いわば存在証明としてのツイートである。それに田中紀子(公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会代表)が反応した。

 田中はギャンブル依存症の当事者で、回復した経験を持つ。日本では数少ない、依存症への介入(インタベンション)の専門家だ。ダイレクトメッセージで連絡を取り、19年2月、横浜のレストランでふたりは初めて顔を合わせる。途中で喫茶店に場所を変え、7時間ぶっ通しで喋りまくった。

「初対面で田中さんはすべてさらけ出してくれた。依存症で、育った環境も複雑で、と。そんな人、いままでいなかった。苦しさを分かち合ってくれて嬉しかったんです」と高知は言う。

 田中は、幼少期にギャンブルで借金を重ねた父と母が離婚し、母子家庭で育った。母方の祖父もパチンコに入れあげ、暮らしは楽ではなかった。「親への恨みと感謝、アンビバレンツ(二律背反)な気もちがわたしは強かった。いきがって、成り上がってやると突っ走った。そこが高知さんと似ていて、年も同じ。松本先生と連携して、もう一度、高知さんが外に出られる役割を見つけよう、とサポートを始めました」と田中はふり返る。

 高知は田中を対話相手に、12ステップ・プログラムに挑んだ。これは、1930年代に米国で創設されたAA(アルコホーリクス・アノニマス:匿名のアルコール依存症者たち)という自助グループが回復のために示したガイドラインだ。キリスト教の告解に似ている。まず自分がアルコールに対して無力で、思い通りに生きられなくなったと認めるところから自己解体にとりかかる。アルコールを薬物に置き換え、同じステップを踏む。

 高知にとって、12ステップの苦行は避けては通れない道だった。とくにステップ4、「恐れずに徹底して自分自身の棚卸しを行い、それを表にする」ことは卒倒しそうなほどつらかった。来し方をすべて吐露しなくてはならないからだ。

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