開高健の「ずばり東京」は1964年の東京五輪を前に変わりゆく東京を活写したルポルタージュで、週刊朝日に63年から64年まで連載されました。「ずばり東京2023」は、2度目の五輪を終えた東京を舞台に気鋭のライターが現在の東京を描くリレー連載です。今回は和田靜香さんによる「沼袋編」です。
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西武新宿線の上り電車が西武新宿駅に着くと、そこはどんづまり。電車は、「車止め」の数メートル手前に止まる。住所は東京都新宿区歌舞伎町1丁目。
そこからまた下りの各駅停車に乗れば高田馬場、下落合、中井、新井薬師前と来て、沼袋に着く。東京都中野区沼袋。って、どこよ、それ? 知らなくて当然だ。おおよそ東京の町を描いたストーリーに、沼袋が登場するのを見たことがない。ああ、是枝裕和監督の映画「誰も知らない」(2004年)は沼袋周辺で多くの場面が撮影されていたものの、匿名の場所が舞台であって沼袋ではない。開高健の「ずばり東京」にはかすりもしていないが、開高さんは沼袋から5つ目の井荻に住んでいた。どんづまりの駅に降り立っていたのだ、開高さんも。
そして2023年現在の沼袋は線路の地下化工事と、駅から北へ江古田方面に伸びる道の拡張工事が行われている。気づいたら始まっていて、少なくとも2027年までは続くらしい。常に何かしら重機の音がしている。その駅前に一軒のタバコ屋があり、奥は今どき珍しい、紫煙たなびく喫茶店だ。
そこに私と向かい合って座った町内会長のOさんは、「沼袋はお寺と商店の町で」と言い、「これといったものは」と私が言うと、Oさんが「ないねぇ」と続け、同時に笑う。笑ってから、「これ」って何だろう?と思った。「これ」があるといい町なのか。沼袋にはずっと「これ」はないのだろうか。
昭和20年8月15日、終戦の日に生まれたOさんに、沼袋の「これ」の記憶をたどってもらう。
「今、イオンがあるとこには家具屋さんがあって、今もあるおせんべい屋さんの隣は自転車屋だったんだよ。駅前の工事中のとこは、日活の映画館だったね」って……。他には何かありませんでした?