「路上に出てしまう、二歩手前の人が増えてるんです。バイト・アプリで仕事を得て日雇いで働き、入金サイクルの都合でお金がなくて今夜は泊まるところがないけど、明日もアプリで仕事は得られる。そういう人たちは生活保護に即つなげるより、ゆるくつながり、何を支援したらいいかを考えないといけない」と佐々木さん。
一方で大澤さんは、仮放免者や難民の人たちの支援にあたる。
「外国人支援を『つくろい』で本格的に始めたのはコロナ禍になってからで、怒涛の2年です。仮放免の人たちがコロナで入管の施設から出てきてからのたいへんさは継続していて、今はそれに加えて入国制限が緩和され、新規の難民の人たちが大勢、日本に来ています。もう限界ばっかりで出来ないことだらけ。他の団体の人たちから『大澤さんは支援するとき、お金はどうするんですか?』と聞かれるんですが、『(事務所に)連れてきちゃえばいいんです』って答えてます」
そう話す向こうで、稲葉さんの耳がピクピクッとしていたのを見逃さなかった。
そしてコロナ禍に、支援者も変わった。佐々木さんは、「小説家を目指してきたのが、34歳ぐらいからなりゆきでこの仕事を10年やってきて、ずっとやるんだなと、つい最近思うようになりました」と言う。「生活保護おじさん」という芸人キャラに扮し、TikTokで啓蒙活動も始めた。小林さんは「コロナ禍に自分で原稿を書いて発信を始め、さらに忙しくなった。でも現場を知ってもらわないと、変えようがない」と話す。貧困は一過性のものではなく、終わりのない支援はずっと続く。そう言えば、沼袋に向かう途中で会った男性も「昔、稲葉さんに助けてもらったことがある」と何度も言っていた。助けられた人は、ずっと忘れないよね。
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これが2023年5月の、これといったものがない東京都中野区沼袋、そのスケッチである。4年後に線路が地下に潜って道が広くなったこの町を歩いたら、私は今を懐かしむのだろうか。それとも「ここ、何があったっけ?」などとシレッと言い、無人でAIなお店であたりまえの顔をして買い物をするのか。それはイヤだ。私は面倒をかけたりかけられたりしながら、叫んだり、笑ったり、浮いたり沈んだりして東京の熱と埃と響きの中に暮らし続けたい。そう願っている。(了)
※週刊朝日 2023年6月9日号