職員会議で「生徒と話し合う。暴力を許さない」ことを決め、休み時間のパトロールや廊下での立ち番などを始めたが、教師たちの目を盗んで、廊下で爆竹が鳴り、いたるところが落書きで埋まった>
■バブル崩壊後も高級外車志向?
もはや「学級崩壊」などというレベルではない。直接的な暴力もエスカレートしていった。
<教師が殴られることが頻発した。騒ぎのたびに、ツッパリ組の生徒がワッと集まり、それをさらに「普通の子」が囲んだ。破壊もエスカレートし、三年の男子便所の仕切り壁がなくなった。
ツッパリ生徒に土下座して謝る先生がついに出た。「アイツ『分かった分かった、やるよ』といって真っ青になって土下座したよ」と生徒たちが自慢げに吹聴して歩いた>
90年代初めにはバブルが崩壊。日本は不況の長いトンネルに入っていくが、しばらくはまだ浮かれモードが続いていた。92年7月10日号の記事「平成ノ正シイ暮ラシ方ノススメ」では、大東文化大経済学部を卒業した「K君」が80年代後半に使ったクリスマス経費について“恋愛インフレ”と称しこう紹介する。
<八七年のクリスマスでは、都内のレストランで食事。映画を見たあと自分のアパートでSEX、という貧乏デートですんだものが、翌八八年には、フランス料理のフルコースに渋谷の洒落たラブホテルと、ややグレードアップ。
これが八九年になると、食事はイタメシ、プレゼントはカルチエの三連リング、夜の泊まりは六本木の全日空ホテルで、費用は十万円の大台に乗った。
そして、迎えた九〇年は「東京は込むからイヤ」という彼女の一言のもと、軽井沢プリンスホテルをキープ。スキー代や食事代、往復の足代やなにやで十五万七千円にハネ上がった>
ちなみにこの記事、ポストバブルは「ダウンサイジングライフ」が大切だとして、こう説く。
<どうしてもBMWというなら、はなから新車をやめて、旧型の3シリーズにする>
そもそも車を買わない若者が増えた昨今からすると、まだまだ贅沢な話に思えてしまう。