1980年代、日本はバブル経済の熱狂に沸いた。だが、その後にやってきたのは長い長い不況。天国と地獄を味わったこの時代は、飛び切りの逸話の宝庫でもあった。「週刊朝日」の記事からも、当時の“熱気”が伝わってくる──。
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バブルの狂奔の少し前、後のカネ余りの時代を予感させる出来事が起きた。1980年4月25日夕方、配達車を運転中の工員・大貫久男氏(当時42)が東京・銀座の歩道のガードレールの支柱の上に風呂敷包みを見つけ、自宅に持ち帰ると1億円分の札束が出てきた。「史上最高の拾得物」に国中が大騒ぎになったが、落とし主は名乗り出なかった。
80年11月14日号の記事「みつけた!! 『1億円の落とし主』」では、「兜町の極めて質の高い筋」の話として、このカネは当時「兜町最大の仕手筋」と言われていた加藤アキラ(※)氏の事務所に運び込まれるはずだった3億円の一部だという説を報じている。
運搬役の2人が車のトランクに現金を積んで現場付近まで行き、そこからは1億円ずつ事務所まで手で持っていくはずが、2人の行き違いもあり、作業途中でガードレールの上に風呂敷包みを放置してしまったというのだ。
当時“ワケあり”なカネが現金で飛び交うのは日常茶飯事だった。
<いろいろな事情で人目をしのばなければならない兜町のカネのうちの大きな部分を占めるのが、政界のカネである。かつて政治家は土地ころがしで資金を捻出していたが、土地税制の強化でそれにうまみがなくなり、いまはもっぱら株をやっている>
果たして今回のカネは、どんな事情を含んでいたのか。本誌は当の加藤氏を直撃している。
<──一億円の落とし主は加藤さんだといわれていますね。
「ハハハ……、ええ、そうやっていや、これですね、(中略)どういったら嘘にならないのか、とにかく、いずれにしろ時ですね。やっぱり、時が、ある時がいると思うんです。(中略)そのまあいろいろありますわ。いろいろですね」>