敗戦がもたらした民主化。それゆえ成立した結婚。その認識のもと、日本の敗戦に至る道や国民と皇室の関係を追うのが眼目の記事だ。
ところで、私は週刊朝日編集部員だった。皇室記事にも関わってきたので、そのころの記憶もある。すると、この表紙第1号は「週刊朝日と美智子さま」の原点だとわかった。トップ記事にあった「戦争」という視点、そしてもう一つは「親しい人の温かな視点」。そう思った。
入江相政さんの随筆「美智子さんとの九時間──『宮中慣習』の先生にされて…──」が掲載されていた。59年1月から始まった美智子さんへのお妃教育で、「宮中慣習」を担当したのが侍従の入江さん。面倒な慣習など宮中にはない、いちばん多く話したのは(昭和)天皇のことで素材のまま持ち出した。どう加工するか、役立てるかは美智子さんの自由──そんな明るい文章だ。
私がいちばん好きだったのは、授業の描写。
「お母さまは、いつも一緒だったし、おわりごろの二、三回は、東宮女官長の牧野さんや女官さんたちも加わった。美智子さんは、『段々学校らしくなってまいりました』と笑っていらっしゃった」
キュート。そんな言葉が浮かぶ。入江さんは美智子さんを「いつも真剣勝負のようなお顔」で学んでいたとし、「そのくせ毎回必ずといっていいほど、なにか、おかしな話が出て来たのも不思議である」と書いていた。そう、美智子さまは楽しい方なのだ。だが「楽しい」と書いたり語ったりするのは、「素晴らしい」と書いたり語ったりするより少し難しい。週刊朝日は「素晴らしい」だけでない美智子さま像を、温かく描いてきたと思う。
■プライベートは「美智子」と…
ご結婚後に初めて表紙になったのは66(昭和41)年4月22日号。4月8日、現在の陛下が学習院初等科に入学、9日の「授業はじめの日」の写真が表紙になった。メインは美智子さまより陛下。昭和の美智子さまはあくまでも「天皇になる人の妻」であり「母」だった。