89年1月8日に平成が始まった。天皇になったばかりの上皇さまと美智子さまの写真が表紙になったのは、1月27日号。32ページにわたる特集の中に、「新天皇の秘話」という記事があった。「戦時下の少年時代」に注目し、疎開時代の話が書かれていた。ご結婚前、ご結婚後、平成になっても、「週刊朝日」は上皇さまと美智子さまの疎開体験を繰り返し伝えた。それは、お二人の平和を願う気持ちの出発点だから。そう理解している。
この号で一つ“発見”をした。学習院大の1年先輩がお二人について、「お揃いの席では、必ず話の合間合間に、『美智子、そうだったよね』『はい、殿下』と互いに顔を向き合われて相槌を打ち合う」と証言していた。
現在の陛下は皇太子さまの時代も今も、会見などで雅子さまに言及するとき、「雅子は」と言う。上皇さまは美智子さまに言及するとき、「皇后は」と言っていた。上皇さま、プライベートの場では「美智子」と呼ぶのか。しみじみした次第だ。
次の表紙は99(平成11)年、ご成婚40年記念号なのだが、その話の前に「93(平成5)年の美智子さま」の話をする。この年、美智子さまはメディアから大変なバッシングに遭った。宮内庁職員を名乗る人物が月刊誌「宝島30」8月号で告発したのをはじめ、「サンデー毎日」「週刊文春」なども加わり、美智子皇后「女帝説」が吹き荒れた。
週刊朝日は10月1日号で「美智子皇后バッシングの内幕」という記事を掲載した。バッシングは「現在の天皇の路線への批判」だとし、その背景には「天皇に『私』はあるか、という天皇制の根源的な問題をめぐって、大きく二つの対立がある」と指摘した。
「週刊ポスト」「女性自身」などもバッシングの列に加わっていく中、「週刊朝日」は「皇室報道がヘンだ!」という記事を第3弾まで続け、それからも毎週、関連報道を続けていた。少数派の「週刊朝日」は目立ったし、他誌の記事を具体的にあげて批判的に検証した。すると「週刊文春」が10月21日号で、「貧すりゃ鈍する 『週刊朝日』は宮内庁のPR誌か」と題した記事を掲載した。