お二人は94(平成6)年に硫黄島を訪問した。戦後50年にあたる95(平成7)年の前年で、それが「慰霊の旅」の始まり。05(平成17)年にはサイパンに行き、バンザイクリフで海に向かって黙礼した。そのことに触れ、「昭和天皇の負の遺産」と表現した渡邉さんは美智子さまと同い年。平和への強い思いがあった。
11(平成23)年4月22日号の表紙は、3月30日のお二人の写真だった。東日本大震災発生から19日、福島県などから避難してきた人々を東京都立東京武道館に見舞ったのだ。写真の横に大きく、「復興への祈り」の文字。
お見舞いの記事はなく、編集長記で触れていた。天皇の級友である橋本明さんの著書から、「(お二人が)試行錯誤を繰り返しながら到達したところは、『心を寄せる』あり方だった」という文章を引き、最後にこう書いていた。「この『心を寄せる』あり方が被災された方々を強く励ましていることを思い、表紙に両陛下の避難所訪問の写真を掲載しました」
美智子さまが表紙を飾った最後は、19(令和元)年5月3−10日合併号だ。御代替わりは5月1日だが、発売日はまだ平成。手を振ってにこやかに挨拶する上皇さまと、上皇さまに右手を添える美智子さまの写真だった。
特集「31人が語る天皇、皇后両陛下」の中から曽野綾子さんの話を紹介する。曽野さんは聖心女子大学で美智子さまの3年先輩にあたる。お忍びで渋谷のジュンク堂書店に行ったときのエピソードを語っていた。開店と同時に入店すると、一般のお客さんもいたという。「学生さんと、お子さんを連れたお母さんが、皇后さまに気づいたようでしたが、そっと見ぬふりをしてくださいました」とあった。
近しい人も国民も、美智子さまを温かい目で見つめている。最後にとても幸せな気持ちになった。
※週刊朝日 2023年6月9日号