当時地方紙の高校野球担当だった筆者は、9回裏、激しい雨のなか、小牧が左翼線に2点差に迫る執念のタイムリー二塁打を放ったシーンを鮮明に覚えている。ラインドライブのかかった鋭い打球は、大会ナンバーワンスラッガーの名にふさわしいものがあった。
三菱自動車水島を経て、90年にドラフト5位で日本ハム入りした小牧は、7番ライトで出場した同年5月22日のダイエー戦で、田中幸雄から借りた白木のバットでプロ初本塁打と猛打賞(4打数3安打2打点)を記録したが、これが1軍で唯一の本塁打となった。
捕手としては、田村藤夫らの陰に隠れ、マスクをかぶったのは1軍通算34試合中15試合にとどまったが、内、外野ともこなせる器用さから、2軍も含めて、投手と遊撃手を除く7つのポジションを守った。
そして31歳になった98年、2軍で本塁打を量産した小牧は、ヤクルト2年目、19歳の岩村明憲と熾烈なタイトル争いを演じる。
9月1日のヤクルト戦から3試合連続アーチをかけ、岩村に1差の15本で単独トップに立った小牧だったが、2日後、岩村に追いつかれ、最終的に3本差で涙をのんだ。
強打の捕手としてアピールできなかった13年間を「器用貧乏だった」と振り返った小牧は、西武時代の03年を最後にバットを置いている。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。