■中学時代のいじめが良心を信じる人生の選択に

「壁をつくらない人」は、まさに島田を象徴する形容だ。「働き方とは、仕事とはこうあるべき」という常識の壁を軽々と乗り越え、あるいは壊し、人との壁もつくらない。

「誰かが仲間外れにされるのを見るのが嫌だから、『あなたもどうですか?』とつい声をかけたくなる。愛のつもりがエゴの押し付けにならないようにと、自制はしないといけないけれど」

 幼稚園生の頃、家に帰るなり「ママ、お節介(せっかい)と親切の違いは何?」と泣きじゃくったことがあると母親から聞いたときは、思わず笑ってしまった。「我ながら昔から変わっていないなって」

 10代の頃に描いた将来の夢は「外交官」。1980年代に「リーダーズ・ダイジェスト」編集長を務めるなど、国際的なジャーナリストとして活躍していた父・塩谷紘(しおやこう)を尊敬していた。母も語学堪能で教育熱心。スケートや体操など、興味の向く習い事はなんでもできる環境に恵まれた。

「自分を男の子だと思い込んでいた」というほど活発で、なんでも素直に口にする子どもだった島田は、私立小学校を受験するも「期待された模範解答が言えなくて」不合格。小中学校は地元の公立校に進んだ。物心ついた頃から社交的。成績優秀、運動も得意で天真爛漫(てんしんらんまん)に育っていた島田だったが、中学時代に人生観を大きく揺さぶる体験をした。ある日突然始まった壮絶ないじめだ。

 きっかけは些細(ささい)なことだった。隣の席の男子に数学の問題を聞かれて教えたことが、仲良しグループの反感を買ったらしい。無視や陰口に始まり、鉛筆を全部折られ、体操着を切り刻まれ、鞄(かばん)をチョークの粉で真っ白に汚された。呼び出され、複数人に囲まれて蹴られる日もあった。心配をかけまいと親や教師に相談せず、帰り道に一人で神社に寄り、涙を流していた。いじめグループの中には親友だと信じていた人物もいた。自分を責め、許してもらおうと謝り続けていたが、ある日、雷に打たれたように吹っ切れた。

「私は何も悪いことはしていない。もう嫌われてもいい。ありのままの自分でいよう」

次のページ