上宮高時代はエースで5番。俊足、強肩を買われて内野手として入団し、4年目から外野手に転向。二軍で盗塁王となったスピードを武器とし、チームでも1、2位を誇る守備範囲の広さを売りに、1軍定着を目指した。

 そんな努力が報われ、02年に初の開幕1軍入りをはたすも、わずか1日で登録抹消。翌03年も開幕ベンチ入りしながら、4日後に2軍落ちという悲哀を味わった。

 だが、「自分の持っている力を信じてやるだけ」とひた向きにバットを振りつづけ、4月14日に再昇格をはたすと、ようやく運が向いてきた。

 同22日のヤクルト戦、3対3の7回2死一、二塁で「代打・山田」が告げられる。たちまち2ストライクと追い込まれたが、山本樹の3球目、外角へのスクリューボールをうまく拾い上げ、中前に決勝タイムリー。「打った瞬間、真っ白になって、一塁で(コーチの)西岡(良洋)さんに握手されて、初めて気づいたんです。打ったことを」(山田)。

 原監督も「山田がいいところでつないでくれた」と絶賛した。

 さらにスタメン出場した翌23日のヤクルト戦でも、4対2の6回に石川雅規から左越えに6年目のプロ初アーチ。「信じられません」と目を丸くした。これが11年間のプロ生活で唯一の本塁打だった。

 だが、2試合続けての活躍も、その後は打力不足がネックとなり、年々出場機会が減少。06年シーズン途中に木村拓也との交換トレードで広島に移籍し、キャリアハイのシーズン16安打(巨人在籍時の2安打も含む)を記録したが、すでに27歳。08年の阪神を最後に引退した。

 巨人時代は、足では鈴木尚広、守備では川中基嗣、堀田一郎と能力で上回るライバルがいたのも、アピールしきれない要因だった。巨大戦力は、1軍当落線上の競争も熾烈なのである。

 走攻守三拍子揃い、02年の本塁打王、03年の首位打者など、2軍で抜群の成績を残しながら、1軍で花開くことなく終わったのが、前出の堀田だ。

 ただし、筆者は必ずしも「巨大戦力の中で埋もれた」とは考えていない。陽の当たらないまま消えていく選手も多いなかで、入団時の評価以上に結果を残したという印象すらある。

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巨大戦力の中で存在感を示した堀田