中大から97年にドラフト6位で入団。当時の中大は低迷期で、4年間ずっと東都の2部リーグだった。
堀田は4年春に打率.452、5本塁打、21打点で三冠王を達成したが、2部の成績は、ほとんど話題にならなかった。青学大・井口忠仁(資仁)や東洋大・今岡誠ら、同じ東都の目玉選手の陰に隠れ、ドラフトにかかるかどうかも微妙だった。
だが、本人があくまで大学からのプロ入りを望んだ結果、中大とパイプのある巨人が獲得したという話を、また聞きながら耳にした。おとなしそうな外見とは裏腹に、芯の強い選手だったことが窺える。
そして、堀田は12球団一の巨大戦力という厳しい環境のなかで、何とか生き残ろうと必死に努力し、1年目の4月に早くも1軍出場をはたす。
野球人生のハイライトになった試合は、03年5月5日の広島戦だ。
負傷者続出の苦しいチーム事情から8番センターで出場した堀田は0対0の3回、高橋建の142キロ直球を右中間に運ぶ先制ソロ。プロ7年目の初アーチに、「腐らずにやっていれば、いいことがあると思った。迷惑をかけてきた家族、2軍スタッフに報告したい」と感涙にむせんだ。
翌04年は薄暮で打球を見失う珍プレーもあったが、3本塁打を記録し、05年には自己最多の71試合に出場。レギュラーには届かなかったものの、堀田にとって巨人での10年間は、極めて濃厚なものになったはずだ。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。