実は、前年9月に行われた18U世界選手権の米国戦で、当時大阪桐蔭2年だった捕手の森が2度にわたって本塁上で体当たりされた事件がきっかけとなり、センバツ直前の13年2月にアマの内規「危険防止」に「ラフプレー禁止」が新たに加えられたばかり。

 当事者にちなんで“森ルール”と呼ばれた新ルールが、皮肉にも大阪桐蔭の3季連続Vの夢を打ち砕くことになった。

 一方、松坂大輔をはじめ主力がゴッソリ抜けてスケールダウンした99年の横浜も、1回戦で宿敵・PL学園に5対6で敗れた。

 とはいえ、この大会で4強入りしたPLと互角に戦い、関東5枠目選出の水戸商が準優勝したことを考えると、横浜も初戦を突破していれば、V争いを演じていたかもしれない。

 次は夏春連覇をはたしたチームを見てみよう。

 1930~31年の広島商、37~38年の中京商、60~61年の法政二、82~83年の池田の4校が該当する。

 前年夏に続き、主力が入れ替わった翌年春も制しているので、春夏春よりも3季連続Vの可能性は高いと言える。

 広島商と中京商は、夏は地方予選で敗退したが、法政二と池田は3季連続出場の甲子園でも大本命だった。

 61年夏の法政二は、エース・柴田勲(元巨人)の快投で順調に勝ち進み、準決勝で剛腕・尾崎行雄(元東映)の浪商と対決した。

 事実上の決勝戦”は、初回にシングルヒットで一塁から生還する柴田の好走塁で1点を先制した法政二が終盤まで2対0とリード。そのまま逃げ切るかに見えた。

 ところが、8回まで被安打1の柴田が、9回に死球をきっかけに崩れ、2死後、尾崎に打たれて同点。さらに延長11回に守備の乱れから2点を勝ち越され、前年夏から連敗していた浪商の“打倒法政二”の執念に屈する形で、3連覇を逃した。

 83年夏の池田も、大黒柱・水野雄仁(元巨人)と破壊力満点の“やまびこ打線”で3季連続Vを確実視されながら、準決勝でPL学園に0対7で敗れた。

次のページ
名将・蔦監督も「3連覇は無理だと思っていた」