米・ハーバード大学とジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(28)。現在はコンサートなどの音楽活動を行いながら、日本の大学でグローバル人材を育成するための授業も受け持っている。廣津留さんの頭の中を探るべく、どんなふうに音楽や勉強とかかわってきたのかを語ってもらうAERA dot.連載。第12回は、プロのバイオリニストになった経緯について。
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ジュリアード音楽院の大学院に入学し、多忙な日々を送っていた廣津留さん。学内外での演奏が評判を呼び、気付けばさまざまなところからオファーが届くようになった。
「ジュリアードでは、1年生の時から組んでいるカルテット(四重奏団)に加えて、学内オーケストラのコンサートマスターも年に数回担当していました。カルテットでは練習はもちろん、メンバーのスケジュール調整もしなければいけませんし、コンサートマスターのときは、全員分の楽器のパートが書かれているオーケストラスコアを読み込み把握しておく必要があります。常に時間に追われていましたが、頻繁に演奏活動をしていました。
個人の活動では『シルクロード・アンサンブル』(世界的チェリストのヨーヨー・マが立ち上げた楽団)から声をかけて頂いて、ユニセフのイベントなどで一緒に弾くこともありました。そうした演奏の機会は知り合いが紹介してくれることもありますし、業界のなかで口コミで広がり、オファーされるケースもあります。
コンサートには一般のお客さんだけでなく音楽関係者が聴きに来ることも多いので、いい演奏を続けていると、後日、どこからか評判を聞きつけてオファーが届くというのが、ニューヨーク流なのかもしれません」
■プロになったのは自然な流れ
廣津留さんがニューヨークに来たのは、音楽家としての幅を広げたいという思いから。その願いどおり、ニューヨークならではの環境が演奏の機会につながっていった。ジュリアード在学中に印象的だった演奏活動のひとつが、MoMA(ニューヨーク近代美術館)でのイベントだったという。