「エベレストはおそらく世界で一番有名な山だし、8000メートル峰のなかではもっとも登られている。たぶん、1万人くらいは登頂しているでしょう。写真も世の中にあふれている。でも、本当のエベレストの世界を伝えられるような写真はどれだけあるんだろうと思ったんです。ぼくはそんな写真を見つけることができなかった」
翌年、マナスル(8163メートル)に登り、8000メートル峰がいかなるものか、身をもって知った。
エベレストに向けて成田空港をたったのは21年4月3日だった。コロナ禍で登山道が封鎖された前年の反動で、入山申請数は過去最高を記録。標高5350メートルのエベレストベースキャンプは人口約1000人の村のようだった。
■疲労で崩れ落ちる登山者
エベレスト登頂の成否は天候によって大きく左右される。ところが「この年の天候は最悪でした。登頂のチャンスは2~3日しかなかった」。
ベースキャンプから山頂までは4泊5日の道のりである。予報では5月19日前後の天候が良好だった。上田さんはシェルパと2人で20日の登頂を目指してベースキャンプをたった。
同じ日程で登頂を目指すチームが続々と出発した。写真には氷河の上を歩く登山者の姿が点々と写り、列をなしている。その背後にはあまりにも巨大なエベレストが立ちはだかるように見える。
出発からわずか2日目、予想外に天候が悪化した。吹雪が続き、4日間テントに閉じ込められた。すでに気圧はかなり低く、意識して腹式呼吸をして肺に空気を送り込まなければならない。寝袋にくるまっているだけで体力が奪われた。
「食料もギリギリでした。そこで何人も登頂を諦めて下山した」
停滞5日目の朝、ようやく晴れ間が見えた。上田さんは力を振り絞って出発した。登山続行を決断したいくつかのチームも歩き始めた。
<その顔に表情はなく、まるでゾンビの行列のように見える。さらに進んでいくと、膝から崩れ落ちてその場で動かなくなる人がいた。停滞でよほど体力を奪われたのだろうか。その人を追い抜く時、話しかけても反応がない>(同)
上田さんはその後、2日かけて標高7900メートル地点まで登り、最終キャンプを設営。頂上に向けて出発したのは5月22日午後11時だった。
「この日はすごく天気がよかった。気温はマイナス30度。風は強く、体感温度はマイナス40度くらいでした」