撮影:上田優紀
撮影:上田優紀

■広告撮影で写真を学ぶ

 上田さんは1988年、和歌山県生まれ。山との出合いは意外と遅く、22歳ごろという。

「それまでぼくは海派だったんですよ。サーフィンをやったりしていた。スキューバダイビングのライセンスも16歳のときに取得しました」

 そんな上田さんはある日、本屋で山の雑誌を手に取った。

「雪山の特集だったと思います。奇麗だなあ、行きたいなあ、と思って、赤岳(長野県、山梨県)に登ったんです。めっちゃ寒かったのを覚えています」

「まったく登山経験がないのに、いきなり厳冬期の赤岳に登ったんですか?」と尋ねると、「はい」と言うので驚いた。

 冬の赤岳山頂付近は傾斜が急な氷のすべり台のようになる。転倒して滑れば、まず止まらない。死亡事故もたびたび起きている。

「頭、おかしかったんです(笑)。ほかの人には絶対にまねしちゃだめだよ、と言いたいです。でもぼく、いまだに登山技術は基本的に独学なんですよ」

撮影:上田優紀
撮影:上田優紀

 初めて山に登った感想は?

「それが、よかったんですよ。美しかったこともあるんですが、なんか厳しいのが性に合っていた」

 写真を撮り始めたのは、その2年後だった。

「24歳のときに初めてカメラを買って、世界一周をしたんです。その途中で、写真家になりたいと思うようになりました」

 帰国後、上田さんは広告ビジュアル制作会社「アマナ」に入社。写真家アシスタントを務めながら写真を学んだ。

「広告写真はなんでも撮りました。化粧品、ビール、映画の広告とか。めちゃくちゃ緻密な計算をして写真をつくり込んでいく。本当に写真はゼロからのスタートでしたから、アマナで学んだことは大きいです。もちろんそれはいまにも生きています」

■エベレストに目を奪われた

 2016年に写真家として独立。近年はヒマラヤの8000メートル峰を中心に撮影している。

 初めてヒマラヤ登山は18年、アマダブラム(6856メートル)に登った。理由はとても単純で、「ものすごくかっこいい山だったから」。険しくも優美なアマダブラムの姿は上田さんを引きつけた。

 ところが、登頂すると、すぐに別の山に心を奪われた。それがエベレストだった。

「アマダブラムのノーマルルートを登って頂上に達すると、それまで見えなかったエベレストがいきなり目の前に現れるんです。もう本当に目立つというか、その山しかないぐらいの感じで見えた。ああ、世界で一番高い場所だ、あそこの風景を見てみたいな、っていうのがエベレストを撮るスタートでしたね」

 下山中はもうエベレストのことしか頭になかった。写真家としてどうしてもそこに行きたくなった。

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