過去には、上位指名が確実視された目玉選手が「巨人以外は拒否」のように希望球団を逆指名するケースも多かったが、その一方で、「1位でなければ嫌」「3位以内でなければ社会人」と指名順位にこだわった選手も存在した。
1位指名にこだわった選手で思い出されるのが、1989年の巨人1位・大森剛(慶大)だ。
大学3年の春に六大学史上6人目の三冠王に輝き、通算17本塁打や歴代2位の78打点を記録。ソウル五輪野球の日本代表にも選ばれるなど、大学ナンバーワンの長距離打者は、巨人入りを熱望し、「巨人がダメだったら、東京ガスに行きます」と宣言した。
だが、同年は春夏の甲子園で通算6本塁打を記録した超高校級スラッガー・元木大介(上宮)も巨人を逆指名しており、巨人は1位・元木、2位・大森の順に指名すると予想された。
すると、大森は「高校生に負けるのは不愉快だし、悔しい。巨人の1位以外なら、プロには行きません。2位でも外れ1位でも行きません。東京ガスに入って、2年後の指名を待つこともやめます」と言い切り、あくまで「一番強い球団に一番高い評価で」の姿勢を貫いた。
なぜ、そこまでして巨人の1位指名にこだわったのか?
その理由について、大森は「巨人としては僕と元木、2人とも欲しかったと思います。でも、どちらも1位で指名しないと他の球団に指名されてしまう可能性が大きい。逆に僕のほうから見れば、ドラフト1位へのこだわりを表明しておかないと、自分が他球団に指名されてしまう可能性があった」(「元・巨人」矢崎良一著 廣済堂文庫)と説明している。
そして、運命のドラフト当日、新聞各紙が「巨人1位は元木」と一斉に報じるなか、1位指名されたのは、大森だった。
「1位しか行かないとは言ってたけど、正直言って来ないと思ってた。言葉にならないほどホッとした」。満願叶った大森はそう言って、思いがけない幸運にうれしさを噛みしめた。
巨人では在籍7年間で出場123試合に終わったが、引退後は巨人のスカウトに転身し、坂本勇人を入団させたことでも知られる。