杉浦のあとに55番を受け継いだ田中毅彦は、土浦日大時代に「東の田中、西の鈴木康友(天理)」と並び称された超高校級スラッガーだったが、高校時代に目を負傷した後遺症もあり、プロでは出場2試合に終わった。

 明徳義塾時代に夏の甲子園で1試合2本塁打を記録した津川力も、6年目の97年にイースタンで打率.324、15本塁打で首位打者になったが、1軍は同年に1試合出場しただけで終わり、現役引退後、審判に転身した。

 00年にドラフト1位で入団した野口祥順は、高校通算30本塁打の長打力に加え、俊足、強肩と3拍子揃った好選手で、02年9月13日の横浜戦ではプロ初打席本塁打を記録。球団では最長の15年間にわたって55番を着け、09年には自己最多の74試合に出場も、レギュラーに食い込むことができなかった。

 村上が入団する前年まで55番を着けていた山川晃司は、15年に強肩強打の捕手としてドラフト3位で入団。3年間1軍出場のないまま、村上に55番を譲り、69番になった。19年には投手にも挑戦し、二刀流と話題になったが、オフに戦力外通告を受け、現在はBCリーグ富山で投手を続けている。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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