一方、75年に巨人入りした西本聖は、ドラフト外入団の投手の中で歴代最多の165勝を挙げた“出世頭”だ。

 入団発表では、ドラ1・定岡正二が前列真ん中に座り、西本は後方にポツンと立つ“その他大勢”組の一人だったが、江川卓とダブルエースになり、通算51勝の定岡を追い抜いたのはご存じのとおりだ。

 78年に巨人が江川問題(空白の1日事件)でドラフト会議をボイコットしたあと、ドラフト外で獲得した鹿取義隆もリリーフエースとなり、西武時代も含めて通算91勝、131セーブと長く活躍した。

 本人はドラフトで指名されると思っていたのに、まさかの指名漏れ。ところが、2位指名の社会人投手が入団拒否した結果、穴埋めとしてプロ入りのチャンスを掴んだのが、71年の東映・江本孟紀だ。

 1年目は0勝4敗に終わったが、翌72年に南海に移籍すると、いきなり16勝で一躍エースに。阪神移籍後も含めて8年連続二桁勝利を記録し、通算113勝を挙げた。

 78年に中日にテスト入団した平野謙も、前年のドラフトで3人が拒否したため、球団が急きょ新人募集をテレビや新聞で呼びかけたのに応募して合格を勝ち取った。

 当時の平野は投手兼外野手の二刀流だったが、3年目にスイッチヒッターに転向し、86年に盗塁王に輝くなど、プロで大きく花開いた。

 テスト入団組は、ほかにも大野豊(広島)、松永浩美(阪急、ダイエーなど)、高木由一(大洋)、栗山英樹(ヤクルト)ら、のちの日本ハム監督も含めて多士済々の顔ぶれだ。

 また、76年のドラフトで上位3人に揃って肘鉄を食った日本ハムは、ドラフト外で島田誠、岡部憲章、坂巻明を獲得。通算352盗塁の島田をはじめ、3人の穴を埋めてお釣りがくるほどの結果を出した。

 89年のダイエーも、1位・元木大介の入団拒否が回り回って、田之上慶三郎を獲得。当時ドラフト外入団できるかも微妙で、進学も検討していた無名の高校生右腕は、戦力外の危機を何度も乗り越えた末、01年に最高勝率のタイトルを獲得した。

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最後のドラフト外入団選手は?