各球団の指名人数が6人以内に制限されていた74~90年(78~80年は4人以内)は、ドラフト外での補強も大きなウエートを占めていた。

 最も成功を収めたのが、西武。79年に松沼博久、雅之兄弟、81年に秋山幸二、小野和幸ら、ドラ1クラスの大物を相次いで入団させ、本指名組と合わせて黄金期を築き上げた。

 98年に38年ぶりの日本一を達成した横浜も、主力に石井琢朗、進藤達哉、島田直也とドラフト外入団組が3人(島田は日本ハムから移籍)いた。

 だが、大学進学や社会人入りを“隠れ蓑”に、ドラフト指名を回避された選手とも契約可能なシステムがしだいに問題となり、91年から指名人数が10人に拡大されたのに伴い、ドラフト外は廃止された。

 そして、前出の石井が2012年限りで現役引退したことにより、ドラフト外入団選手は完全に姿を消した。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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