■安倍晋太郎の誘い
ちょうどそのころ、のちの国境取材を決定づける出来事があった。山本さんは作家の椎名誠さんとともにチリ海軍の軍艦に同乗し、南極を取材した。
船は途中、南米大陸の最南端、ホーン岬からさらに南西約100キロにあるディエゴ・ラミレス島に立ち寄り、駐屯地に食料を補給した。
「竹島にそっくりな岩礁の島なんですよ。そこに6人の兵士が駐屯していた。すごいところだなあ、と思って、なぜこんなところにいるんですか、と尋ねたら、この島が紛れもなく、チリの領土であるということを証明するためにわれわれがいる。大事な仕事であり、誇りを持ってやっている、と言った。国境とはそういうものなのか、という思いと同時に、日本の国境はどうなっているのだろうか、と疑問が湧いた」
なかでも気になったのが日本最北の島、択捉島だった。しかし、ソ連が実効支配する択捉島には日本人はおろか、ロシア人さえも特別な許可がなければ入れない最前線の島だった。
そんなある日、山本さんは安倍晋太郎氏から「ゴルバチョフを撮ってみたくないか」と、声をかけられた。
「あのころのソ連はペレストロイカ(立て直し)でこんなふうになっていたときですよ」と、山本さんは手のひらを揺らし、こう続けた。
「そりゃあ、撮りたいですよ。当時、ゴルバチョフは世界で一番ホットな人でしたから」
■安倍晋三の頼み
90年1月、山本さんは元外相・安倍晋太郎を団長とする自民党訪ソ団に同行し、モスクワを訪れた。
「ここで一発、ゴルバチョフと派手な写真を撮っておいたほうがいいという、計算はもちろんあったと思いますね。当然、撮影を朝日や読売に頼むわけにはいかない。ぼくはフリーだから、と思ったのかもしれない。まあ、いずれにせよ、とてもラッキーだった」
長年、ソ連は日ソ間に領土問題があること自体を否定してきた。そんななか、安倍晋太郎氏はゴルバチョフ大統領から「領土問題に関しては英知ある解決をする」という言葉を引き出した。
「つまり、北方領土問題の存在をソ連に認めさせたのが安倍晋太郎だった。でも、もうそのときはすい臓がんに侵されていた。真っ青な顔をして、ガリガリにやせていた」
ゴルバチョフ会談の成果を日本へテレビ中継する際、山本さんは安倍晋三氏から頼まれた。
「あの顔色じゃあ、テレビに出せないからドーランを探してくれないか、と晋三さんが言うんです。それでぼくはモスクワのテレビ局からドーランを借りてきた。そして晋太郎さんは口に含み綿を入れてテレビに出た。そんな悲壮な覚悟というか、北方領土問題に命をかけている姿を間近で見た。よし、それだったら、ぼくは取材したかった国境、北方領土の択捉島をどうしても撮りたい、と思った」