オフィーリアをミレイはバスタブで描いた (C)Anju
オフィーリアをミレイはバスタブで描いた (C)Anju
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 写真家としての出発点は「少年少女の物語だった」と語る写真家の安珠さん。

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 1月18日から写真展「A girl philosophy-ある少女の哲学」を開催するが、その作品は自身の“原点”でもある。

「自分は少女のまま消えるはずだった。その時間というものを失っているような気がした。それで写したのが(写真展のシリーズとなった)『少女の行方』(東京書籍)だった」。安珠さんはそう打ち明ける。

■自分の「生」を肯定できた日

 安珠さんが撮り続けてきた“少女”は、映画「誘拐報道」(1982年)で子役としてデビューした高橋かおり。

<一九八五年八月、彼女は十歳になったばかりだった。どこもかしこも純白のシルクのように輝いていた。もっと撮りたい。他の誰にも撮られたくない。――撮影の帰り、そんな思いが胸を締めあげ、わたしを駆りたてた>(『少女の行方』あとがきから)

 高橋の姿が、カメラを通して、10歳のときの自分の姿と重なった。

「目の前の少女が元気に今を生きていて、私もすごく喜びに満ちて写真を撮っていることに気がついた。そのとき、初めて自分の『生』というものを肯定できた。生きていてもいいんだって、思えた」

 撮影ずみのフィルムを現像所に持っていく途中、号泣した。「ワーッて、泣きながら電車に揺られた」。

 安珠さんは10歳のとき、生死の境をさまよう病を患った。

「死を覚悟したんですけれど、奇跡的に生きられた。でも、10歳の子どもにとって、『自分は死ぬんだ』と思ったことは衝撃でした」

 ずっと寝たきりだった入院中、窓の外を眺めると、日が昇り、沈んだ。天気が移り変わり、雪が降った。

「ああ、自分が消えてしまっても、それとは何の関係もなく時間は流れていくんだな、ということに気がついた。永遠の時間の流れからすれば人の命なんて一瞬なのに、なんで生きていくんだろう、生きる意味って何なんだろう、って思った。少女なりに哲学的なことをいろいろ考え始めた」

内省のはじまり 01 (C)Anju
内省のはじまり 01 (C)Anju

■自分の死後もこの紙切れは残る

 安珠さんは東京・山の手で生まれ育った。

「昔はかわいかったので、めちゃめちゃスカウトされたんですよ」と言い、屈託なく笑う。

 写真に興味を持ったのは高校時代、コマーシャル撮影の仕事でカメラの前に立ったときだった。確認用に撮影したポラロイド写真を「こうなりますよ」と、差し出された。手のひらに載せられた写真には、たった今の自分が写っていた。

「自分が死んでもこの紙切れは残るんだな、と思った」。すると、着物を着てブーツを履いた坂本龍馬の写真が思い浮かんだ。

「いにしえの写真なのに、新しもの好きな龍馬の性格までわかるんだなと思った。写真ってすごい、時間を止められるって感じた。それですごく写真に興味を持った」

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自分は見る側の人