浄化 (C)Anju
浄化 (C)Anju

 ほぼ同じころ、安珠さんはポートレート写真家として多彩な活動をしていた稲越功一と出会う。

「レコード会社のプロデューサーの人に、歌手になりませんか、って言われたんです。そのとき、たまたま稲越さんがいらっしゃって。この人は有名な写真家なんですよ、と紹介された」

 写真に興味津々だった安珠さんに稲越はキヤノンサロンを紹介する。

「それで一眼レフを買って、自宅の押し入れに暗室を作った。現像からプリントまで自分でやるようになりました。稲越さんとはめちゃくちゃ親しくなって、しょっちゅう原宿にあった稲越さんのアトリエの暗室にお邪魔して、プリントしまくった(笑)」

■自分は見る側の人

 その後、安珠さんはファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィに見いだされて渡仏。しかし、モデルとしてパリで暮らし始めてからも写真への情熱が薄れることはなかった。

「パリでも暗室をつくって、プリントしていました。仕事場にも一眼レフを持って出かけた。モデル仲間に声をかけて、仲よくなったら写真を撮らせてもらった。だから、パリ時代の有名なモデルの写真がいっぱいあります」

 とても華やかな世界だった。なんで、自分はこんなところにいるんだろう、と思うくらい恵まれた環境だった。一方、「自分は見られる人じゃなくて、見る側の人だな」という意識がいつも離れなかった。

太陽の東 月の西 (C)Anju
太陽の東 月の西 (C)Anju

 そんなおり、デザイナーの中野裕道から撮影を依頼された。

「ファッションショーのポスターに使う写真を撮ってもらえないか、と言われたんです。そのテーマが『不思議の国のアリス』だった。ああ、私が得意な世界だ、と思った」

<どうせならと、ずっと心を奪われていた高橋かおりをリクエストして撮影させてもらった。もっと撮りたい。その思いはパリまでわたしを追いかけてきた。(中略)その、彼女に対する真っ直な思いだけで、わたしは東京に帰るたび、彼女を撮り続けた。三年後、わたしは帰国し、写真家としての一歩を踏みだした>(『少女の行方』あとがきから)

 安珠さんは高橋を撮ることで、10歳のときから抱えてきた悶々とした感情に区切りをつけた。

「少女(高橋)にピントを合わせるように、自分の心にもピントが合った。それで目覚めた。ただ写真を撮りたい、というのではなくて、自分の中の不可解なものに焦点を当てて撮っていきたい、と思うようになった」

■高められた苦悩と少女

 安珠さんは生きる意味や幸福など、目に見えないものに興味があるという。一見わかりそうな美醜についても、こう語る。

「少女が好む物語や、少女に与えられる物語って、美しさや醜さを書いたものが多い。『美女と野獣』『かえるの王子様』とか。そこにある美しさや醜さは見えるけれど、本質的に美しいものって何だろう、って思う」

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